河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱
2012.02.27 Monday 02:23
くっくり
【昭和12年12月20日 南京住宅街にて朝日新聞林カメラマンが撮影/日本兵と共に玩具で遊ぶ支那の子供達/画像ソースURL】
また、ミニー・ヴォートリン(ボートリン)という南京の金陵女子文理学院の教師(後に同学院校長)は、金陵女子文理学院理事会に提出したリポート(表題には1938年(昭和13年)1月14日から3月31日とある)の中でこう記しています。
【より貧しい人々は寝具や小銭さえも盗まれ、安全区にあってとても安全だった裕福な家の敷物やラジオや家具も盗まれつつある。私達は、12月17日頃から1月17日迄(この日に私は最後の火事を見た)のような大規模な焼却は見ない。
現在の最も大きな悩み事は、「老百姓」即ち普通の人々による略奪が続いていることである。法も秩序も無いこの市のなかで、貧しい無法者は、どの家に入って欲しい物を持ってきても全く自由だと思っている。旧安全区の外では、多くの家が戸や窓や床までもすべてが盗まれている。
ここ数日間、私は良質の戸と窓が売られているのを見たが、それは破壊が進んでいることを意味している。当然、私の中国人の友人はこの件に心を痛めているが、どうすることも出来ない】
(ちなみにヴォートリンが教鞭を執っていた金陵女子文理学院に関しては、12月17日に日本兵が侵入して避難していた難民女性を多数強姦したと中国側が主張しており、南京事件の映画では必ずこの描写を盛り込みますが、それが事実ではないことはヴォートリンのレポートの別の箇所に示されています。これについてはまた別の機会に…)
このように、ヴォートリンも略奪の犯人は難民(支那人)であると記しています。
そしてやはり「虐殺」「強姦」の目撃談などは書いていません。
(難民の死体が漢中門付近で野ざらしになっているとの伝聞は書き留めていますが、この噂の出所は「処刑から逃れて帰ってきた」という男の話を聞いたというベイツからの又聞きに過ぎません)
ところが、ベイツ(彼は蒋介石政権の顧問でもあった)は、東京裁判の法廷で、日本軍が残虐行為を働いたと主張しています。
「安全区とその近辺で12000人の男女及び子供が殺された」
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