河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱
2012.02.27 Monday 02:23
くっくり
スマイスは12月20日付への家族への手紙で、次のように書いています。
【(12月13日、月曜朝)寧海路(注:国際委員会の所在地)に戻る途中の我々の安全区を示す旗の位置が間違っていることを人々に告げて直させた。
金陵女子文理学院の近くで、道路に脱ぎ捨てられた軍服があったので、警官らに言ってそれを安全区の外に捨てさせた。帰宅したのは8時15分にもなっていた!
仲間は朝食を済ませていたが、私はそれから食事した。彼らは外がとても平和だったことを喜んだのである】
スマイスの12月20日付の手紙には、このような記述もあります。
【(12月13日、月曜朝)家(宿舎)へ戻る途中、(午後)1時に日本兵が漢中路に到達しているのを見付けた。我々は車でそこへ行き約6名の小さな分遣隊に会った。それが最初だったが最後ではなかったのだ。上海路と漢中路の交差する角で、彼らはバスを調べていたが、人々を傷つけることはなかった】
日本軍の攻撃は13日早朝まで続きましたが、城壁が占領され、支那軍が退却していなくなったあとの安全区はまことに静かになっていたことが分かります。
さらにこれはスマイスが同じ年の大晦日に書いた妻への現況報告。
【最も深刻な事態の様相として、我々が適当で速やかな解決策を見いだせない一つは、この20万人の社会に経済基盤が無いことである。彼等が日本陸軍から米を買えば、彼等の金は干上がって戻ってこない。唯一の還元路は、まだそれほど多くはないが、日本軍に雇われた苦力達が僅かに得る金と、水道、電力会社に雇われた少しの人々の金だけだ。他には農民達が大地から僅かに得る収入しかない。或いは人々が市中の安全区以外の地域から見つけるか盗んでくる物なのだ。
[中略]道路ぎわの小さな露天商達がうまく商売しているのは注目すべきことだ。小さなリスクで大きく儲け、毎日商売に励んでいる。商品は多彩だ。我々は今、それらのあるものは安全区外の焼却が進んでいるところから盗まれてきたのではないかと疑っている】
陥落から約2週間を過ぎたこの頃のスマイスの関心事は、難民(支那人)の生活基盤が脆弱なことでした。
難民の「虐殺」「強姦」の目撃談など1件も書いていません。
そして難民が略奪をしていると指摘しています。
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