河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱

2012.02.27 Monday 02:23
くっくり



 「衛生兵として南京で日本兵を助けたが、怪我をした中国の敗残兵も助けた。軍のトラックで送ってやったら中国人の家族が非常に感謝して、家宝の掛け軸をくれたんです。
 さらに『戦争が終わったら、ぜひもう一度南京へ来てほしい。歓待したい。一日千秋の思いで待っている』とまで言われたんです。だから、私は死ぬまでにもう一度南京に行きたい」

 このことでハッと思い出したのは、私自身が幼いころ、南京戦直後に中国にわたり、天津で過ごした日々のことでした。それは、「大虐殺」があったなどとは到底考えられないほど、大変のどかな日々だったのです】


 「『南京大虐殺』はなかった」というのは河村市長の昔からの持論です。

 例えば、民主党議員時代の平成18年には「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を提出しています。
 そこでも河村市長はお父さんのお話を導入しつつ、「南京事件について再検証すべきではないか」「正しい相互理解をふまえた真の日中友好を促進したい」と述べています。

 そういう経緯があったので、私は河村市長の今回の発言には特に驚きませんでしたが、世の中(というか中国と日本の一部のみ?)はかなりの騒ぎになっていますね。
 民主党の一議員だった頃とは違い、今は名古屋市長という立場だからこそなのでしょうが。

 南京市は河村市長の発言に抗議して交流停止を発表しましたが、南京市側の対応を時系列で見るとちょっと奇妙ですね。

 というのは……
 市長発言の前に南京市を訪問し、南京事件についての議論を呼び掛ける市長の親書を渡した市議が「その時は『議論するのは結構だ』と言われたのに、いきなり交流停止になるのは残念でならない」と、南京市の対応を疑問視しているのです。

 親書を手渡したのは藤沢忠将市議(自民)と山本久樹市議(民主)で、2月7〜9日に南京を訪問。
 市の担当者らとの面会で「南京事件について考え方に違いがある。友好親善を図るためにもぜひ意見交換したい」と提案、河村市長の親書を渡したそうです。
 すると、南京市側は「我々の認識が間違っているとは思わないが、議論は大いに結構」と和やかなムードで答えたんだそうです。

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