光市母子殺害事件死刑確定で実名報道「おことわり」…本村さんに幸あれ!

2012.02.21 Tuesday 01:52
くっくり


 ※くっくり補足:本村さんは、広島高裁で死刑判決が出た時(2008年4月)にも会見で、「私は会社員ですから、労働して、納税して、日本国民として恥ずかしくないような生き方をしていきたい」と言われていました。

「私自身、2009(平成21)年にある女性と籍を入れて、細々と家庭を持っている。それには色々な理由があるが、私自身、1人で生きていくことがとてもつらくなり、精神的にまいっていた。そしてとてもすばらしい方と出会えたこともあった。いろいろ悩んだし、相手も考えたと思うが、私を支えてくれるということで、今、細々とだが、2人で生活している。その彼女は命日には一緒にお墓に行って、手を合わせてくれている。その人のおかげで、こういった場に立てる。感謝している」


 事件からここまで13年。本当に長かったですね。
 その間の本村さんのご苦労は計り知れません。・゚・(ノД`)・゚・。

 被告の死刑が確定しても、奥様もお子様ももちろん戻ってはきません。
 でも、ひとつの区切りにはなるんじゃないでしょうか。

 2009年に本村さんが再婚されていたことを私は今回初めて知りましたが、何だかものすごくほっとしました。

 今まで苦しまれた分、本村さんにはどうか幸せな人生を送っていただきたいです。
 亡くなった奥様とお子様も天国からそれを願っておられると思います。

 本村さんの人生に幸あれ!!(^o^)


 最後に、かつての本村さんの手記を一部引用させていただきます。
 前にもブログで紹介しましたが、もう一度紹介したくなりました。
 未読の方はぜひお読みになって下さい

平成19年版 犯罪被害者白書>本村洋さんの手記
 私は遺族ですので、犯罪により直接身体に危害を加えられたわけではありません。また、加害者と対峙し死の恐怖を体験したわけでもありません。
 ですから、理不尽に人生を絶たれた妻と娘の苦しみや怒り、無念さに比べれば、私の悲しみなど取るに足らないはずだと思っています。しかし、そう思って頑張って生きようとしましたが、事件発生から1年くらいは本当に辛い日々でした。
 特に、山口地裁で刑事裁判が始まった直後は辛かったです。法廷で加害者を見るからです。犯罪被害者の辛いところは、加害者が存在することなのかもしれません。当時の私は、裁判のことを考えると仕事が手につかなくなりました。私は会社へ辞表を提出しました。

[7] << [9] >>
comments (13)
trackbacks (1)


<< 天皇陛下の手術無事終了でほっとしたのと同時に…
青山繁晴「ニュースの見方」尖閣諸島に中国軍の影 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]