子供たちに教えたい柴五郎

2012.02.13 Monday 18:36
くっくり



 エリアノーラ・メアリー・ダヌタンの「ベルギー公使夫人の明治日記」には、このような記述があります。

 【著名な日本の将校の柴五郎陸軍大佐は、その勇気と先見の明によって、他の誰よりも北京を守るのに功があったという話であった。その当時一番大きな働きをした人間に贈るために、教皇からダイヤモンドの指輪が送られてきたが、ファヴィエ大司教はこの貴重な印を直ちに柴大佐に贈呈したのである】

 後に体験者の日記を発掘してまとめたピーター・フレミングは、その著書「北京籠城」の中でこう記述しています。

 【戦略上の最重要地点である王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。〈中略〉 日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの士官よりも勇敢で経験もあったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったが、この籠城をつうじてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになった。日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである】

 柴五郎率いる日本軍の規律正しさは噂となってたちまち北京市内に知られ、市民は布や紙に「大日本順民」(日本に順う市民)と書いて日本軍を歓迎しました。
 日本軍の占領地はすぐに治安を回復し、商店も営業を再開したということです。

 それに引き替え、ロシア軍に占領された区域は悲惨でした。その地の住民らは続々と日本占領区に逃げ込み、保護を求めました。
 当時の北京市長はたまりかね、イギリス公使マクドナルドに苦情を訴え、ロシア軍管区を日本軍管区に替えて欲しいと懇願したほどだったそうです。

 北京市民の駆け込み寺と化した日本占領区で、軍全体を指揮する柴五郎中佐は市民にとって守護神でした。
 後に彼に帰国命令が出て、それが噂として一般に伝えられると街は大騒ぎとなり、老若男女こぞって別れを惜しみ、涙ぐんだということです。


 「たかじんのそこまで言って委員会」2月4日放送分で、「修身」の教科書を作るなら紹介したい人物は?という質問が出ましたが、柴五郎などはまさにうってつけの一人ではないでしょうか。

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