子供たちに教えたい柴五郎
2012.02.13 Monday 18:36
くっくり
image[110213-02rengougun.jpg]
[画像はWikipedia>義和団の乱より(8カ国の連合軍の兵士)]
これを読んだのをきっかけに、柴五郎について自分なりに調べてみました。
……戊辰戦争の頃、柴五郎はまだ幼い少年でした。
会津城下にいた母や姉妹など女性の家族は自刃し、別の場所にいた五郎は難を逃れたものの、一家は五郎ともども陸奥国斗南(青森県むつ市)に流され、そこで大変苦しい生活を送ったそうです。
その後、五郎は青森県派遣の給仕に選ばれたのをきっかけ東京に行き、1873年、陸軍幼年学校に入学(「坂の上の雲」でおなじみの秋山好古と同期)、軍人への道を歩んでいくことになります。
そこから義和団の乱に遭遇するまでの経歴は、Wikipediaあたりをご覧下さい。
堤堯さんもお書きの通り、「コロネル・シバ(柴中佐)」と日本将兵が義和団の乱で見せた奮闘ぶりは、日英同盟へと結びついていくことになります。
19世紀後半のイギリスは非同盟政策、いわゆる「栄光ある孤立」政策を取っていましたが、やがてヨーロッパ外交における孤立が深刻化し、そうも言っていられない状況になりました。
そんな折り、義和団の乱で総指揮を取ったイギリス公使クロード・マクドナルドは、ともに戦った柴五郎と日本将兵の勇敢さ、規律正しさに心を大きく動かされます。
また、イギリスは「ロシアの南下政策を牽制したい」という同じ目的を日本と共有していました。
そこで、マクドナルドは日英同盟の締結を強く推進しました。
その試みは短期間で実を結び、第一次日英同盟は、1902年1月30日に調印され即時に発効しました。
あの「大英帝国」が、日本と軍事同盟を結んだのです。
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