2006.08.03 Thursday 21:13
くっくり
ついでこの日、最大の話題の天皇誕生日前の記者会見に話が移る。冒頭に「PRESSとの会見」とある三枚目のメモには会見についての天皇の感想が生の言葉でつづられており、それが靖国神社のA級戦犯合祀に言及するきっかけとなった。
二十九日の誕生日前の宮内記者会との会見は数日前に行われるのが通例で、八八年は二十五日に実施。昭和天皇は翌年一月に崩御したため最後の記者会見となった。
748 :名無しさん@6周年:2006/08/03(木) 10:01:49 ID:4gq1l7ig0
まず前年の会見を振り返り・・・(関係ないので略)
続けて八八年の会見について「戦争の感想を問われ、嫌な気持ちを表現した」「嫌だといったのは(当時の閣僚の名)の靖国発言 中国への言及に引っ掛けて言ったつもりである」 などとある。とうじ、閣僚の発言に中国が反発したことがあり、これを気にかけていたことが伺える。
当時の一部報道によると、宮内庁の内部で打ちあわせた回答原案では「つらい思い出」と表現するよていだったが、天皇が「嫌な」と言い換えていた。その真意は定かではなかった。
これを受けて4枚目のメモで「前にもあったね」として過去にも首相の靖国公式参拝や数年前の閣僚の戦争に関する発言に触れている。この話の流れの中で、メモ後半部分に「私は或る時に・・・・私の心だ」などとする靖国不参拝の理由の述べた発言が記述されていた
この年の記者会見で「戦争の最大の原因は」と問われた天皇は[人物の批判になるので述べることは避けたい」と答えている。メモ4枚目の末尾に「関連質問 関係者もおり批判になるの意」とあり、この事実と符合している
この年の5月20日のメモにも「靖国のことは多く相当のものも知らぬ。長官が何らかの形でやって欲しい」とあるほか、86年7月23日付の日記で「靖国のこと、教科書問題などで言上しきりである」などの記述がある。これらの問題に昭和天皇が気にかけていたことが伺える
富田氏のスケジュール手帳には一日ごとに、合った人たちの名がこまめに記されている。それによると、八八年四月二八日に富田氏が会ったのは午前中に外務次官と昭和天皇午後は皇太子(今の天皇陛下)、夜は新聞記者の取材を受けている。それ以外の名は一切記載されていない。
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