「諸君!」「正論」より富田メモで識者見解

2006.08.01 Tuesday 21:09
くっくり



 しかし、つくづく思うが、どうして日本人は主体的な判断ができないのだろう。外圧のことではない。国旗国歌も、皇位継承も、靖国神社も、「天皇陛下のご意向」を持ち出さなくても、十分議論できる。いや、持ち出してはならない問題であろう。国民が主体的に判断すべき事で、「天皇陛下のご意向」がどうだからという問題ではそもそもないはずだ。

 敢えて不敬を承知で言えば、私は今回の「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」との昭和天皇のご発言に−それがご真意だとすれば−、少々違和感を持った。ご本人が松岡洋右と白鳥敏夫のことをたとえお嫌いでも、だからと言って靖国神社へのご親拝自体を中止されるのは飛躍がありすぎるのではないかと思ったのだ。靖国神社は別に松岡・白鳥の二人だけを祀っているわけではない。二百六十万余という名も無き多くの方々が祀られている戦没者慰霊の中心施設である。松岡・白鳥に対する昭和天皇のお気持ちは分かるが、ではそれ以外の英霊はどうなるのか。

 国防とはある時代のある世代が国家の存続のために尊い生命を犠牲にする崇高な行為である。それゆえ後の世代が戦没者を感謝・顕彰・追悼・慰霊しなければならない。もしそれがなければ、国難が訪れた場合に誰が自分の生命を国のために犠牲にすることがあるだろうか。一連の“靖国潰し”は実はこの辺を狙っているのではないかというのが私の持論だが、日本の次の世代が二度と国のために立ち上がることがないようにとの狙い、言い換えれば、日本国民から国防意識を決定的に奪おうとの考えによって、首相や閣僚の靖国神社参拝が非難されているのだ。

 天皇も同様である。日本の歴史の連続性を体現される天皇が靖国神社に参拝されなくなれば、国防の根幹は揺らいでしまう。その意味では松岡・白鳥への個人の気持ちはどうあれ、「天皇」のお立場としては靖国神社参拝を中止されるべきではなかったのではないかと思うのだ。

■『正論』9月号 ノンフィクション作家・上坂冬子

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