2006.08.01 Tuesday 21:09
くっくり
白鳥敏夫(一八八七〜一九四九年)も強引で強硬な外交官だった。省内の革新官僚を率いて軍部と手を結び、威勢のいい情報部長だった。イタリア大使として、松岡外相の三国同盟締結のために活躍した。東京裁判でA級戦犯、終身禁固刑の判決を受けたが、獄中で病死した。松岡とともに、靖国に眠っている。
二人とは正反対に、昭和天皇は熱烈な英米派で、とくに皇太子時代の訪欧の「解放」の体験もあり、英王室への親近感と英国への思い入れは偏愛に近いものがあった。
対英米開戦に最後まで抵抗した昭和天皇の努力のさまは、多くの証言によって知られている。昭和天皇から見ると、日米交渉がにっちもさっちもいかなくなった時点で首相になり、毒をもって毒を制す(軍人をもって軍部を抑える)ため起用されサイパン陥落までの政権を担当した東条英機などは、松岡や白鳥に比べれば、忠義の臣だった。
昭和天皇の意を体して日米交渉のいきがかりを「白紙還元」しようとした東条は、いわゆる「狂瀾を既倒(きとう)に廻(かえ)す」ことができなかった。日本は戦争に突入し、戦況の悪化とともに東条は辞任した。彼の慰霊になら、昭和天皇は躊躇なさらなかっただろう。私が「その上、松岡、白取(ママ)までも」に重点があると言うのは、それが理由である。
そして、この度の「A級戦犯 靖国合祀 昭和天皇が不快感」との大見出しが躍った『日本経済新聞』七月二十日付朝刊報道である。その後のマスコミ各社の報道も含めてまさに「鬼の首を取った」かのような大騒ぎである。『朝日新聞』は早速、二十一日付朝刊で「A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉」などという社説を掲げ、「現在の天皇陛下も、靖国神社には足を運んでいない。戦没者に哀悼の意を示そうにも、いまの靖国神社ではそれはかなわない。/だれもがこぞって戦争の犠牲になった人たちを悼むことができる場所が必要だろう。それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である。そのことを今回の昭和天皇の発言が示している」と書いている。昭和天皇でも靖国神社は戦没者追悼の場に相応しくないとおっしゃってるではないか、これは日本人の主体的な判断だぞ、との物言いである。
[7] << [9] >>
comments (14)
trackbacks (0)
<< 「たかじん委員会」富田メモ疑惑
古賀が何と言おうが疑問なものは疑問なわけで >>
[0] [top]