鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由

2011.12.17 Saturday 01:45
くっくり



 父は、とにかく北京では中国人女性にモテてモテて、母はとても苦労していたようです。父は俳優の上原謙のような男前でしたし、明治の男ですから仕方がないとはいえ、恋愛結婚で一緒になって、大陸まで父を追いかけた母にとってはたまらなかったでしょう。

 ただ、もし本当に南京で日本人が民間人の大虐殺を行い、女性を強姦していたとしたら、中国人女性が日本人男性である父にそれほどまでにほれ込んだりはしなかったでしょうし、中国人同士の間でも「日本人なんかに熱を上げて」と非難されたはずです。しかし、そのようなことは全くなかったばかりか、父は中国人のためにも一所懸命働きましたので、老若男女問わず、中国人からは非常に尊敬されていたのです。

〈南京ののどかな光景〉

 胡同(フートン)にある本社の隣には、北京の警察署がありました。父と署長は仲が良く、どこかへ一緒に列車で出かけたこともありました。署長さんはお金持ちだったからか、一号さんと二号さんを隣りに乗せていて、どちらもとても素敵な女性でしたが、口紅ばかり塗っていて子供の私には目もくれず、冷たくあしらっていました。「可愛がってくれないんだなあ」と思ったのを覚えています。

 しかし、そう感じたということは、逆に言えばそれ以外の中国人の大人たちは、日本人である子供の私を非常に可愛がってくれていたということでしょう。

 三、四歳の頃には南京へも行っているんです。まだ記憶はおぼつかない頃ですが、親父に後から聞いた話は覚えています。

 「お前を南京に連れて行った時、泣かずに頑張った。南京のある中国人が、そんなお前の態度を見てとても気に入ってほめてくれたんだ。しかも、『耳の形がいい。こういう人物と付き合うと、自分の運気も上がるから、是非抱かせてくれ』といって抱き上げてくれたんだよ」

 また、父は南京で聞いた話をもとに、よくこんなことを言っていました。

 「聞いたところによると、日本の兵隊さんが食糧を分けてくれたので、南京の人々は助かったんだそうだ。お前もいい兵隊さんになるためには、強いだけではダメで、思いやりをもたなければいけないよ」

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