支援国を「落とさない」&日土友好の新たな架け橋となった宮崎さん
2011.12.05 Monday 19:12
くっくり
【◆20年後の謝意表明
(東日本大震災に対する)世界各地からの支援の中で、私自身が強い感慨を覚えたのは、クウェートからの原油100万バレル(約450億円相当)の無償援助であった。「20年後の謝意表明」として、オタイビ駐日大使が4月27日、日本政府にクウェート石油相からの親書を渡したと報道にはある。
では、20年前、日本とクウェートの間には何があったのか?何に対する“謝意”なのか。
1990年8月2日、約12万のイラク軍がクウェートに侵攻、「湾岸戦争」が開始された。翌年1月には19ヶ国からなる国連の多国籍軍が反撃を開始、2月にはイラク軍は撤退した。
日本は憲法上の制約から自衛隊が参戦することはできなかったが、130億ドル(約1兆7000億円)もの寄付を行った。だが周囲からの反応の冷たさなどは、手嶋龍一『外交敗戦−130億ドルは砂に消えた』(新潮文庫2006年)にくわしい。諸国からの援助で平和を取り戻したクウェートは、1991年3月11日付のアメリカの幾つかの主要新聞に、感謝を示す全面広告を載せた。感謝の言葉とともに、30ヶ国の国名。その中にJapanがない!あの130億ドルは、たった一つの単語にも値しなかったのだ!すぐにこちらも抗議の全面広告を載せるべきと考えた私は、文面も作ったが、それは拙著『言葉でたたかう技術−日本的美質と雄弁力』(文藝春秋2010年)に収められている。
これが、20年前の二国間の現実だったのだ。その後、どういう抗議がなされ、クウェートの日本“無視”が“謝意”に変わったのかは知らない。たった一つ知っているのは、コスモ石油から米国との合弁会社の社長となった山本英夫氏の行動である。政府の要請でサウジアラビアに赴任した山本氏は、1991年夏クウェート市に入った。「石油関連技術ワークショップ」主宰のためだったが、昼食会ではクウェート皇太子の隣の席に座った。「このたびのお国のなさったことは、日本国民に対して非礼である」と、山本氏は皇太子に直接苦言を呈したとのことである。こうした指摘や抗議が重なり、20年後の変化に結びついたということなのだろう。
この事件から教訓を得たとすれば、一番目は、まず、自分のしたことはきちんと公言し、反論があるなら直ちになすべきこと。二番目には、手をさしのべてくれた国の名を、リストなどから決して落としてはいけないということではないだろうか。
◆支援してくれた国への謝意
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