日経の次はテレ朝、朝日新聞も当然援護射撃

2006.07.27 Thursday 02:12
くっくり



1994年11月20日、外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開し、公式見解として、大使館書記官の不手際により、宣戦布告が遅れたことを認めた。現在、この資料は外交史料館報 第8号で閲覧可能である。

 また、東京裁判における東条とキーナン検事とのやりとりによれば、東条は真珠湾攻撃の作戦命令が出された日にちも、艦隊がいつ日本を出発したかも知らなかったと。
 ↓こちら参照
川村けんとの「いい加減にします」>東京裁判 東條英機 前編
 「ディベートからみた東京裁判 」北岡俊明『第七章 東條英機ディベート』の起こしです。

 これらを踏まえた上で、朝日新聞の記事を改めて見ると……
 「(真珠湾奇襲攻撃について)宣戦の詔書は、東条大将が使ったように使う意図はあったのでしょうか」というNYタイムズ記者の質問に、「東条大将が使ったように使われることは意図していなかった」と(昭和天皇は)回答していると。
 すなわちNYタイムズの記事は捏造でもGHQの意向で改変されたものでもなく、昭和天皇の回答文通りだと立証されたのだ、と。

 つまり昭和天皇は嘘を仰ったと、朝日新聞は強調したいんですね?
 たとえそうだとしても、当時の状況を鑑みれば致し方なかったんでしょう。45年9月25日といえば、昭和天皇が戦犯にされる可能性が十二分にあった時期で、昭和天皇のご意思はともかく、日本政府としてはそれはどうしても避けたかったわけですから。みんな「日本(=天皇)」を守ろうと必死だったのです。
 実際その後GHQは昭和天皇を戦犯にせず占領政策に利用する方針を固め、キーナン検事もまた、「天皇に責任なし」という証言を東条から引き出すようマッカーサーから指示されていたのです。

 ……で、夜に『報ステ』の特集を見たんですが、朝日新聞の記事とはだいぶニュアンスが違ってましたね。
 朝刊ラテ欄の、

<スクープ!昭和天皇が戦争放棄を最初に宣言それは歴史的なマッカーサー会談の2日前…未発表の宮内庁資料を新たに発見>

を見た時点ですでに朝日新聞とはニュアンスが違うなと思ってたんですが、古舘の第一声も「戦争の放棄を誰が一番初めに言い出したのか?」で、もうこの時点でオチが見えましたね。

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