中川昭一さんの“言葉”を振り返る
2011.10.03 Monday 01:53
くっくり
2009年、再び政権を失った自民党が、「保守」の理念をまた忘れてしまうのではないか、また迷走してしまうのではないかと、中川さんは亡くなる直前まで、さぞ心配されていたのではないかと拝察します。
また、2007年2月、当時自民党の政調会長だった中川昭一さんは、中国に関してこのような“警告”をされていました。
「台湾が(今後)15年でおかしくなったら、20年ぐらいの間に、ここ(日本)は中国の何番目かの省になるかもしれない」
「中国は今は平和的台頭でおとなしくしているが、2010年(の上海万博)が終わると、いよいよ“非平和的台頭”になる可能性がある」
「台湾が完全な勢力下に置かれた場合、次は日本になりかねない」
(産経新聞2007年2月26日付。元記事削除済につき「トノゴジラの放言・暴言−大和櫻塾」さんより引用)
中川さんが亡くなって2年、民主党政権となって2年強、日本は安全保障上ますます「危ない」状況に陥っています。
特に中国は、日米同盟の弱体化に乗じた面もあるのでしょうが、砲艦外交さながらに日本の領海や領空への威嚇・侵犯をくり返しています。
しかも中国は日本に対してだけではなく、南シナ海でも(最近は特にベトナムやフィリピンに対し)露骨な形で威嚇・侵犯をくり返しています。
「2010年(の上海万博)が終わると、いよいよ“非平和的台頭”になる可能性がある」という中川さんの予測通りの展開を、まさに辿っているように見えます。
中川さんは、日本人としての矜持を持った稀有な政治家でした。
日本を愛し、日本の国益のため筋を通し続けた政治家でした。
大臣職にある時も、靖国神社への参拝は毎年欠かしませんでした。
大臣職など要職に就くと保身に回って持論を曲げてしまう政治家も多い中、中川さんは一貫して「国士」でした。
私は、特に経済産業大臣時代(2003年5月〜2005年10月)、中国との東シナ海ガス田問題で一歩も引かれなかったことが印象深いです。
中川さんは、法的・理論的根拠を崩さず、中国に対して毅然とした外交姿勢を貫きました。帝国石油に試掘権も与えました。
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