中川昭一さんの“言葉”を振り返る

2011.10.03 Monday 01:53
くっくり


 【平成5年、我々は負けて野党になった。(私は当選したが)。やはり、不況、悪天候で不作、年末にはウルグアイラウンド(GATT、WTOの前身)で細川内閣は「無条件降伏」をした。あの時も党内で上を下への大議論をやった。しかし、激論の末、石原慎太郎さんの下で党再生の本格的議論が始まった。私も参加して、各分野ごとに、日本の為に党はどうなるべきか、どういう政策を打ち出すべきかを連日議論した。そして一年後、政権政党に戻った。その前提は唯一つ「保守」であった。

 そう、自民党の原点は「保守」なのだ。そして今こそ原点に戻るべきなのだ。

 「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために改革する。そして国民の活力に期待して成長のための戦略を描く。リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、対抗していくか。しかし、前進—地球の中で生き残り、真に国民を守るために何をなすべきか。と言った議論が全く欠けている。

 私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、まだ残っている。彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、日本を守り、真の意味で国民を守るかを真摯に議論してほしい。心ある国民はそれを是非応援してほしい。

 自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて確立するために全力を尽くすべきだ。さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら自壊してゆく。

〈中略〉私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。「日本が危ない」から。】

 (中川昭一ライブラリ>中川昭一の声>選挙が終わって—『十勝・日本が危ない』 2009年9月14日


 1993年(平成5年)、非自民政権が誕生し、自民党は政権を失いました。
 非自民政権は10ヶ月で終わりましたが、自民党は立ち直りを賭け、結党以来初めて理念・綱領を見直す作業を行いました。

 ところが、「自由民主党新宣言」 案からは、憲法改正(自主憲法制定)が削除されていたそうです。

 当時一年生議員だった安倍晋三元総理によれば、その時、中川昭一さんは当時の党の重鎮を向こうに回し、議論のやり直しを迫りました。

 そして、新宣言に「21世紀に向けた新しい時代にふさわしい憲法のあり方について、国民と共に論議を進めていきます」という文言を取り入れさせたそうです。

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