日本人が知らない八田與一「ビーバップ!ハイヒール」より
2011.09.24 Saturday 01:53
くっくり
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が、台湾総督府は難色を示す。
「こんな大きなダムは不可能だ!もう少し規模を小さくしなければ」
食い下がる八田。
「それでは水量が少なく、平野全体に水が行き渡りません」
「しかし予算がない…」
「一時しのぎではダメです。農民たち全体が豊かにならなければ、造る意味がありません!」
工事費用は莫大で、台湾総督府総予算の3分の1にもなる。
金額的にも規模的にもあまりにも大きすぎて、誰も本当に実現するとは思わなかった。
しかし、小さいダムでは水が行き渡らず、住民の格差が生まれてしまう。
彼は自分の思いを曲げず、計画書を何度も練り直した。
3年後の1920年、粘り強い交渉の末、八田は、費用の半分を農民たちも担うことを条件に、ダムの建設許可を勝ち取った。
ところが、地元住民は大反対。
「なぜ我々がお金を負担しなくてはいけないんですか!」
八田はダムの必要性を必死で説いた。
「ダムができれば必ず豊かになる。皆さんの子供や孫たちの世代が、安心して暮らせるんです」
「僕たちは騙されないぞ!」
住民の無理解など、問題を抱えつつ、何年続くか分からないダム建設がスタートした。
日本人・台湾人合わせて約2000人が、険しい山奥での力仕事に従事。
しかし、衛生状態も悪く、労働環境はまさに最悪だった。
そこで八田は、環境改善のため、上司に要請。
「家族と住める宿舎を作って下さい」
「何を言ってるんだ。我々が必要なのは労働力。女、子供は必要ない」
「しかし、家族と離れ離れでいい仕事などできるわけありません!」
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八田の要請が受け入れられ、工夫(こうふ)が家族と一緒に住めるよう、工事現場の近くに小さな町が作られた。
そこには、学校や病院などの公共施設や、映画館やテニスコートなどの娯楽場もあった。
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