後世へ残したい!陸前高田の女子高生の震災体験談
2011.09.20 Tuesday 02:04
くっくり
私とSは私の家がある東の方向を眺めていました。
この頃には不思議な心の余裕が生まれ、流されたであろうペットたちに心の中で何度も謝り、生きているかもしれないという希望も捨てきれずにいました。
そのとき、私の耳にしっかりと 「なおー!!!」と叫ぶ父と母の声が飛び込んできました。
声がしたのは屋内練習場の方からです。
私は咄嗟に振り向きました。
姿はみえません。
でも私の耳には私を呼ぶ聞き慣れた父と母の声がしっかりと聞こえています。
目が飛び出すのではないかというほど 泣き腫らした目で父たちの姿を探しました。
「なおー!!福田なおみはどこだー!!なおー!!」
手には杖がわりの木を持った母と、いつもは大きい声を出さない父が消防のはんてんを着て必死で叫ぶ姿が目に飛び込んできました。
私は声がでない程の喜びを身に染みて感じ、同時に震災後初の安心を感じました。
私は父と母の間に飛び込んできました。
2人もそれを受け止め しっかりと抱き締めてくれました。
その後父と母がここまでどうやって来たのかを聞かされました。
父は水門が閉まっているのを確認してすぐ、波が防波堤を越えるのを見て消防車で山側へ車を走らせました。
しかしT字路のところで車が渋滞しているのを見て、そこで交通整備をしていたそうです。
そのとき私の幼馴染みが走って海側へ行こうとするのを見て引き留めたそうです。
すると幼馴染みは、お婆さんを担いで避難したが親が心配だから店を見に行きたいといったそうです。
父はやむを得ず、足じゃ絶対に逃げ切れないから最悪のことも考えて車で行けと言ったそうです。
父はそのあとすぐ小高い場所、つまり私が消防車を見つけた場所へ避難しギリギリで難を逃れました。
幼馴染みは地震発生から1週間ちょっとした頃、高田の市街地の方で発見されました。
母は車で会社から同じ職場の人を乗せて山側を通って高田へ向かったそうです。
町の方へ降りようとすると、消防団に止められ一旦引き返し旧国道45号線を通っていたそうです。
すると海の方に白い煙のようなものが見え、目を凝らしやっと巨大津波であることを悟りました。
その後父と同じところへ避難していた祖母と合流し、午前授業ですでに家にいるはずの私がいないことに気づきました。
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