後世へ残したい!陸前高田の女子高生の震災体験談

2011.09.20 Tuesday 02:04
くっくり


この電話はもしかしたら波にのみ込まれ始めた母が車の中からかけてきた最後の電話だったのではないか、そんな考えが浮かび、また心が崩れてきました。

何度見回しても母の姿はみえません。

第二グラウンドから見て東側の小高い場所で消防車の赤灯が光っているのが見えました。

あれにお父さんが乗っているかもしれない!
小さな希望が心に生まれました。

さっきと同じように自己暗示をかけ、誰からともなく始めた薪拾いをSと一緒に手伝いました。
すると家がすぐ近くでわたしが小さい頃から知っている、消防団の方(Kさん)が来ました。

わたしは体裁など気にせず近より、「お父さんは うちの父をしりませんか!?」と、半分叫ぶように聞きました。
Kさんから返ってきた返事は、「わからない。父さんとは途中ではぐれてしまった」。

私の目からは性懲りもなくまた涙が溢れだしました。
Kさんはそんな私に「きっと大丈夫だ」と力強く、背中を叩いて言ってくれました。

そのあとは、マイナスな事は考えないようにして、強がりでもなんでもいいから笑ながら、木を集めました。

まだ3月、まだ高田は夜に凍える寒さになります。

暗くなる前に… と思い、木を引っこ抜き、丸太を運び、友達が私に抱いていたイメージを打ち壊しながら木を集めました。
"火事場の馬鹿力"もあったのでしょう。

でもそれ以上に 不安を隠し続けているSを笑わせたくて、私のせいで心配を増やしたくなくて、体裁も気にせず、全力を尽くしました。

信じてくれないかもしれませんが、取ろうとした木はまだ根付いていた木で、運んだ丸太は私の身長の2倍くらいはあったんですよ!(笑)
元々力はありましたし!
うち農機具屋なので小さい頃から重いもの運ばされてて…。

脱線しましたが、とにかく笑顔でいなきゃと心をあんなに強く持ったのは、生まれて初めてだったと思います。

image[110919-05sos.jpg]

薪拾いもあらかた終わり、みんなはそのあと水の引かない町をみたり、親が迎えに来て自分の家や親戚の家に帰っていきました。
親が迎えに来る光景は、私の目にはどうしても羨ましく映り、心に曇りを生んでいきました。

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