後世へ残したい!陸前高田の女子高生の震災体験談

2011.09.20 Tuesday 02:04
くっくり



しかしそれを皮切りに、今度は薄くない、しっかりとした、どんな結果であろうと、生きる、という覚悟を決めました。

私は「みんな大丈夫みんな大丈夫…」と自分に暗示をかけるように、うつむきひたすらに 「みんな大丈夫」と呟き続けました。
呟いているうちに、覚悟はしっかりとしたものになりました。
暗示がかかったのだと思います。

「みんな大丈夫!みんな大丈夫だから!」

私は最後に大きな声でそう言い、私たちの町をのみこんだ海をしっかりと見据えました。

Sは驚いた顔をしていました。
それもそのはず、顔面蒼白で涙だらけの顔をした、ついさっきまで震えていた私が、いきなりハリのある声をだしたのですから。

「もう大丈夫なの?」

不思議そうな、焦ったようなそんな顔をしてSは私に尋ねました。
私はそれに笑顔で大丈夫と返し、笑いました。

絶対みんな大丈夫だからと言いながら、その後第二グラウンドに避難してきた近隣の方々が道端に座り始めました。

image[110919-11hinan.jpg]

野球部は屋内練習場を解放し、大きな声で避難者たちをそこへ誘導していました。
ですがお年寄りの方や、津波で頭が混乱している方々には中々その声は届きません。

私も何かしなければと思い、Sはみんなと一緒に居るように言いおき、避難者一人一人にできるだけ笑顔でゆっくりと、はっきり練習場へ入るように伝えていきました。

それと同時に 母が火葬場に避難してきているのではないかと見に行きました。
しかし何度見回しても母の車はありませんでした。

地面の地割れにつまずきながら何回も何回も火葬場に行きました。
友達が言うには、顔面蒼白と言う言葉の意味を理解できるほど私の顔は血の気が引いていたそうです。

言い忘れましたが、上のグラウンドについてすぐケータイの災害用掲示板で同じdocomoを使っている祖母と父に「高校の上のグラウンドにいる」と送りました。

父からは「了解」と返って来ていましたが、その後はケータイに電話をかけても繋がりませんでした。
水没したらケータイは使えなくなります。
また不安が生まれました。

それに追い討ちをかけるように、母からの不在着信に気づきました。

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