後世へ残したい!陸前高田の女子高生の震災体験談
2011.09.20 Tuesday 02:04
くっくり
しかし私は家にいる4匹のチワワ(ビーンズ,ロコ,かりん,クリーム)と1匹の猫(黒)の元へ向かわなければと一人焦っていました。
「家帰らなきゃ家帰らなきゃ…」と友達がとめるのも聞かずつぶやき続けていました。
頭の中はそのことでいっぱいなのに脚はがたがたと震え、唇も歯も震えていました。
「行かなきゃ、行かなきゃ!」と思うのに脚は動いてくれません。
家までは、走れば7分ほどでつく距離です。
学校の中や体育館で部活をしていた生徒や残っていた先生方がグラウンドへ集まってきました。
Sにしがみつきながら私たちもみんなのところへ行きました。
そのときケータイのワンセグで宮古に津波が押し寄せ、たくさんの車が流されるのを見ました。
何が起こっているのか全く把握できませんでした。
私がいる高田には津波が来ていないのに宮古では目を覆いたくなる惨劇が起きてる、いったい何なんだという気持ちでいっぱいでした。
何かしなきゃいけない! そんな気持ちも限りなく渦巻いていました。
こういうときこそ笑わなきゃいけないと思って深呼吸をし、自分たちの身の安全を確保しよう、信じたくないけど確実に高田にも津波が来る、と薄く頼りない「覚悟」をしました。
校舎裏の急な坂を上り高い位置にある高校の第二グラウンドへ行き、フェンス越しに海のほうを見ました。
しかし津波らしきものは見えません。
ちょっとした白波が見え あれが津波か?と思ってみていました。
するとどこからか誰かが叫ぶ声が聞こえました。
私は海ではなく、手前の45号線辺りを見ました。
一瞬何が見えているのかわからなくなりました。
高田松原にある球場が「流れて」いました。
正確には球場が流されていたわけではなく球場のところに海が渦々しく流れ込んできていたのです。
image[110919-03tunami.jpg]
私の父は消防団です。
いつものように水門が閉まっているか消防車に乗って確認しに行ってるはずです。
球場は水門より手前にあります。
それなら、お父さんは…、津波は防波堤を越えている…、お父さんは水門の確認に…。
私の頭の中には「父の死」が浮かんでいました。
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