【終戦の日2011】外国人から見た日本と日本人(30)

2011.08.16 Tuesday 01:36
くっくり


【大阪靖国訴訟補助参加人意見陳述書】
   元日本人 上杉重雄(鄭春河)

 私は植民地台湾で大正9(1920)年に生れて、終戦翌年の6月復員まで、満26年間の日本人であります。
 大東亜戦争の生残りです。

 大東亜戦争が勃発した時、国土防衛は国民の義務だと自覚して、血書嘆願で陸軍兵に採用され、昭和18年豪北のチモール島、第48師団歩兵第二連隊に転属されました。

 当時台湾第一回陸軍特別志願兵は一千名でしたが、第48師団に約八百余名配属されました。
 悪戦苦闘をしましたが遂に日本は敗戦しました。

 21年6月4日、異国民となって中国国民党占領下の台湾に送還されたのであります。
 しかし私の人生に悔いはありません。  

 大東亜戦争で、213万余戦没しました。
 「靖国神社で会おう」と誓い合って、祖国日本の為に潔く散華されました。
 ところが私は不覚にも死所を得ずして本日まで生きながらえたのを恥かしく申し訳なく思って居ります。  

 靖國神社は、日本人の感情の上に立って、建立されたのです。
 祖国日本の為に命を捧げた方々に対して、国民として、永久に祀りつづける場所であります。

 古来日本では、亡くなった人を慰める方法は、たったひとつ、祀ることです。
 もっと生き永らえることが出来たのに、その命を絶たれた方々に対する鎮魂の場で有ります。
 決して戦争を鼓舞するための、魂を荒ぶらせるための場などでは絶対にありません。

 私は今まで秘密にしておりましたが、この際やむなく公開しなければならない事がございます。
 一九九九年(平成11年)10月19日、靖国神社御創立130年大祭に招かれました。

 前列の指定席に案内されたのです。
 ところが不思議哉、式典の最中に、英霊の声が伝わってきました。  

 目を閉じたら驚く勿れ、

「おい上杉、お前は死なずによかった。
 俺達は国の要請で戦場に立ち、この祖国日本のために愛する親、兄弟、姉妹、妻子、恋人への恋慕を絶ち切つて俺達が死んで逝ったのだ。
 ところが俺達がこよなく愛した祖国から裏切られ、この靖国の地の公式の祭祀は見捨てられ、総理、国賓の表敬参拝、自衛隊の部隊参拝もしないのは一体何たることか。

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