【終戦の日2011】外国人から見た日本と日本人(30)

2011.08.16 Tuesday 01:36
くっくり


■李登輝=1923年(大正12年)台北生まれ。京都帝国大学農学部に進み、1944年(昭和19年)陸軍入隊。終戦後、台湾大学講師、台湾省農林庁勤務、米国留学などを経て71年国民党に入党。72年行政院政務委員として入閣。台北市長、政府首席等を歴任。84年副総統に指名され、88年1月総統に昇格。96年台湾初の総統直接選挙に当選。2000年国民党首席を辞任。総統引退後、台湾独立の立場を明確にした。
2010年7月26日、台湾淡水の李登輝オフィスで行われたインタビューより(インタビュアーは宮崎正弘氏とマット安川氏)

 1895年、台湾割譲によって日本の統治が始まるが、すぐに国民学校の創設が始まり、教育、科学技術、体育を教わることになった。これは明治維新に匹敵することで、日本で私塾が転じてまたたくまに6000校の国民学校ができたのと同率のスピードだった。新思潮が流れ込み、台湾の近代化の礎となった。

 1925年には高等学校が、1928年には台湾帝国大学が創設され、台湾人でもいけるようになった。エリートが増加し、近代的思考、法の尊重が認識された。日本の敗戦までの五十年間の統治により、台湾の近代化が実現した。

 90年代、わたしが総統時代には大きな変化があった。蒋介石は台湾へやってきて一年半で「228事件」がおこり、「大陸反攻」と言っていたが、徐々に台湾政治は内戦型から国と国の関係に変化した。わたしの任務は国民党vs共産党の内戦に終止符を打つことであり、憲法の改正と台湾の民主化の実現にむけて邁進した。台湾は血を流さないで民主化が達成できた。

 台湾人の自決という自覚が生まれ、新台湾建設へのエネルギーに転化されたのである。日本はこのことを過小評価するのはおかしい。

 つまり台湾精神とは日本精神であり、それは何かといえば質実剛健、挑戦的、勇敢。
 そして法治を尊び、責任感があり忠実であるということ。これが台湾人の主体性確保にどれほど役だったことだろうか。

■鄭春河=台湾人。1920年(大正9年)台南生まれ。日本名「上杉重雄」。台湾に志願制度が布かれた1942年(昭和17年)血書歎願し陸軍特別志願兵としてチモールに従軍。1993年(平成5年)小冊子「嗚呼大東亜戦争」を自費制作し日本の関係各者に配り、戦後日本人に覚醒を促した。2005年(平成17年)没。

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