【終戦の日2011】外国人から見た日本と日本人(30)

2011.08.16 Tuesday 01:36
くっくり



 当時、カトリック朝鮮大教区のミューテル主教が日記で伊藤博文の治績を賞賛し、安重根の「許しの秘蹟」を拒否した事実から、私たちは当時の朝鮮人の伊藤博文に対する感情が今日のものと大きく異なることを推測できる。実際、日露戦争後に伊藤博文が朝鮮を訪問すると、朝鮮ではすべての政治家と官僚が歓迎団を構成して仁川港まで出迎えに行った。仁川から京城までの沿道をいっぱいに埋めた朝鮮人が、日章旗を振って伊藤博文を歓迎するほど、彼は人気のある政治家だったのである。

 最近、韓国のある新聞に、高校生が伊藤博文をどれだけ知っているか、東京で取材した記事が載った。記者の質問に対し彼らは「伊藤博文って誰?お前、聞いたことある?」「どっかで聞いたことあるけど、天皇じゃなかったっけ?」と答えている。現代日本の最も重要な時期を率いた偉大な指導者に関して、日本国民がこれほど無知なのは、日本の教育になにか問題があるからではないか。日本人もこれからは自国の歴史について誇りをもって教育する必要がある。日本人の認識が正されてこそ、韓国人の認識も正すことができるのだ。

■朴贊雄(パク・チャンウン)=韓国人。1926年(大正15年)京城(現ソウル)生まれ。1939年(昭和14年)京城師範学校付属第2小学校卒業。1945年(昭和20年)旧制京畿中学卒業。その後ソウル大学法学部、ニューヨーク大学行政大学院を卒業。1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)まで陸軍通訳将校として朝鮮戦争参戦。延世大学講師や仁荷大学副教授などを経て、1975年(昭和50年)カナダに移住。トロント韓国民主社会建設協議会を設立。著書に「朴正熙、全斗煥の乱」などがある。戦後、韓国の民主化を追求し続けた知識人。2006年5月死去。
「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」より

 僕は1926年(大正15年)10月に京城で生まれ、数え年20歳で終戦を迎えた。小学校から中学校の教育の殆どを日本人教師から受けており、終戦当時は京城高等工業の学生として日本人学生と共に学んでいた。だから、植民地時代の朝鮮のありようについては、一応総合的な構図を捉えているつもりでいる。

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