2011.08.16 Tuesday 01:36
くっくり
「親日派のための弁明2」まえがきより
日帝時代は法がなくても生きられる社会だったという。これは私の親戚がいってくれた言葉である。
「あの時代を狂おしいほどに懐かしむ人たちも多い。だから集まるたびに演歌をむせび泣くように歌う」。これは私の両親がいってくれた言葉である。
「『今よりあのころの方がよかったと思わないか?生きる楽しみもあって』というと、同窓の99パーセントは同意する」。これは私に1930年生まれの先輩がいってくれた言葉である。
「北海道に徴用に行った朝鮮人の賃金は、当時の日本人ホワイトカラーの月給の3倍から5倍で、勤労時間も徹底して遵守され、朝鮮人は幸せだったように思える」。これはチェ・ギホ先生が私にいってくれた言葉である。
このすべてが、反日洗脳教育を受けて成長した韓国の戦後世代にとっては、天地がひっっくりかえるほど衝撃的な証言である。誰もがもっていたこのような記憶が、なぜ今まで知られなかったのだろうか。
「親日派のための弁明2」より
伊藤博文は朝鮮を侵略した悪の象徴として、安重根は正義の象徴として、韓国人は一方的な見方を教え込まれてきた。
〈中略〉2000年になって、韓国で初めて伊藤博文の評伝が一冊翻訳出版された。(『伊藤博文』図書出版・中心)。この本には伊藤博文が朝鮮統監職から退いた後も、韓国皇太子である英親王(ヨンチンワン)の太子師(皇太子の教育係。少師は総理大臣であった李完用)であった事実が記録されている。また、伊藤博文が安重根に殺害された後、朝鮮八道(京畿、忠清、全羅、慶尚、黄海、平安、咸鏡、江原の八つの行政地域)の儒林代表らが一堂に会し、伊藤博文の治績を称える集会を開き、銅像を建てた。そして、各道別に謝罪団を結成して鞭をもって日本へ渡り、鞭で打たれることを自ら買って出たという。伊藤博文が死亡した後、韓国王室は文忠公という諡号(死後に贈られる称号)を与え、彼を追慕したという事実も書かれている。
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