【終戦の日2011】外国人から見た日本と日本人(30)

2011.08.16 Tuesday 01:36
くっくり



 私たちが公に唱える原則と実際の行動は著しくかけ離れている。マッカーサー将軍が1946年元旦に出した日本の「新しい朝」という仰々しい声明(この節の冒頭参照)と、一年後の1月6日付パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙に掲載された記事を比較すると、それがよくわかるのだ。

>新たな追放に揺れる日本(ジャップ)新聞界
> 共同通信によると、日本政府は土曜日午後、新たな追放令と同追放令の対象となる報道関係者について具体的内容を発表した。
> 発行部数二万部を超える新聞社と出版社の幹部は公職とみなされることとなり、これに該当する職にあって、1937年7月7日から1941年12月7日までの間、日本の侵略的軍事行動を支持ないし慫慂(しょうよう)し、または、日本政府の戦争行為を支援したものは、追放の対象とされ、報道、映画、演劇、放送に関係する企業に職を得ることを禁じられる。
> 詳細な発表によると、追放によって空席となった職を、追放されたものの三等親までの親族が埋めることは許されない。三等親には、曾孫、妻、甥、姪が含まれる。(下線は筆者)
> 被追放者はその影響力の行使を禁じられるほか、原職に復帰することも許されない。本追放令とその細目に違反したものは罰せられる。

 この公職追放令は日本政府が出したものだが、だからといって、アメリカはこの政策の責任を免れることはできない。占領期間中は、私たちが日本政府だからだ。日本の役人は命令を実行するだけである。追放された日本の新聞人は、当然、それを知っている。そして彼らは、この話を自分の曾孫、妻、姪たちに語り継いでいくだろう。

■金完燮(キム・ワンソプ)=韓国人。1963年(昭和38年)、全羅南道光州生まれ。サレジオ高卒。高校時代の1980年(昭和55年)に起きた光州民主化運動に参加して全羅道庁に籠城、逮捕・投獄され、のちに「国会偉功者」として表彰される。ソウル大学物理学部を経て雑誌記者を経験。1992年(平成4年)よりフリーランサー。1995年に出版した「娼婦論」がベストセラーとなる。1996年より約2年間、オーストラリアに居住。帰国後、「コスタク新聞」を創刊。2002年(平成14年)に「親日派のための弁明」を発表するが、韓国では有害図書指定を受け、さまざまな妨害を受けた。

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