【終戦の日2011】外国人から見た日本と日本人(30)

2011.08.16 Tuesday 01:36
くっくり



 仮に歴史の正確さを求める私たち自身の基準が完全であるにしても、占領軍が被占領国民の歴史を検閲することが、本当に民主的であるかどうか。アメリカ人はもっと議論する必要がある。

 私たち自身が日本の歴史を著しく歪曲してきた。だから、政治意識の高い日本人からみれば、日本の教科書の「民主的改革」は、私たちが意図しているようなものではなく、単に日本人の国家意識とアメリカ人の国家意識を入れ替えるにすぎないのだ。

 つまり、もはやアメリカ人は日本の歴史家たちが現実を直視していないとか、不正確な歴史記述をしているといって非難できる立場にはいないのだ。戦争中私たち自身がほしいままにしてきた歪曲にくらべれば、歴史の中に神話を入れるほうがまだ正しい。神話は科学的には正しくなくても、詩的には正しいということができるからだ。神話は長い歴史を経て完成した日本文明の象徴にすぎない。歴史の中に神話を入れるということは、科学的史観に反するが、もともと日本は科学的方法というものをつくってこなかったのだ。

 日本人は科学者の方法論ではなく、芸術家や詩人の手法で伝統文化を発展させてきた。彼らは事実より感覚、象徴、直感を重視した。科学的正確さを重視するのは私たちのほうだが、危機的状況や戦争になると、自分の価値観に反したことをしている。にもかかわらず、よその国の国民にその価値観を私たちより忠実に守れというのは不条理だと思う。

 歴史に対する私たちの姿勢は基本的問題にかかわっている。日本の教科書を検閲し神話を追放することだけではない。私たちは日本人にどういう近代史と現代史を教えようとしているかである。恐らく日本人は日本の前近代史に対する私たちの公式解釈を認めないだろう。私たちはすでに日本の歴史を歪曲してしまったから、極東の近代史や戦争原因に関する私たちの解釈が信じてもらえるかどうか疑わしいのだ。

〈中略〉私たちは、どうやら、それと気づかないまま、占領国日本に「思想統制」を敷いているようだ。私たちの制度は確かに私たちが「嘆かわしい」とする日本の制度とは違う。いままでの日本人の思想は日本政府の見解を反映すべく統制されていたが、これからは、アメリカの公式見解を反映させていく。そこが変わった点だが、思想統制であることは以前と変わらない。こういう行き方で、日本人や第三者のアジア人に、私たちの制度のほうが進んでいると信じさせることはむずかしいだろう。

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