昭和天皇御巡幸の御製と歴代天皇の博愛精神

2011.08.09 Tuesday 01:47
くっくり



 昭和天皇の戦後巡幸の歌を掲げてみよう。

 わざはひをわすれてわれを出むかふる民の心をうれしぞと思ふ
 (昭和天皇・昭和21年・戦災地視察の歌)

 たのもしく夜は明けそめぬ水戸の町うつ槌(つち)の音(ね)も高くきこえて
 (昭和天皇・昭和22年・歌会始「あけぼの」)

 ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなほる見えてうれしかりけり
 (昭和天皇・昭和22年「広島」)

 いずれも、敗戦後の全国巡幸を詠んだ歌である。

 戦争の傷跡も生々しい国土を視察して、「(戦禍を)わすれて」「たのもしく」「たちなほる」とは、どういうことなのか、あまりにも楽天的ではないか、と言う向きもあるだろう。

 しかし、ここで古代の行幸の歌を思い起こしてほしい。
 先に掲げた天武天皇の吉野行幸の歌*1も、「よし」のことばを8回も使っており、吉野の地を音によって褒めちぎっていた。
 古代の行幸の歌にも土地の賛歌が多く、必ずしも現実には沿っていないのである。

 私は、ここで言ってしまおう。
 「和歌は祈りである」と。

 昭和天皇は、現実を見ていないわけではない。
 どんなに人が戦争を恨み、貧しく、飢えていようとも、まずは「朝が来た」「民はもう戦争を忘れた」「国は立ち直った」と詠むことが、天皇が和歌を詠む大きな意味のひとつなのである。
 これらの歌を訳すときに、末尾に「……だったらいいなあ」という願望の末尾を添えて訳してみると、そのことはよく理解できるはずである。】

*1 天武天皇(大海人皇子)の吉野行幸の歌=
 よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見
 (昔の君子がよい所だと見たうえで、よいと言った吉野を、今の君子よ、よしと受け止めて見なさい)
 (『万葉集』巻一・二七・天武天皇)

 「和歌は祈りである」……その通りだと思います。

 正確には、和歌のみならず、天皇のほとんど全ての所作が「祈り」に基づいたものである、と言えるのではないでしょうか。

 国民もまた、天皇のそのような所作のひとつひとつに「祈り」を感じ取っているのかもしれません。だからこそ胸を打たれたり、厳かな気持ちになったりするのではないでしょうか。

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