2011.08.06 Saturday 01:16
くっくり
天災は、傲慢と巧妙さをはぎとり、人々のなかにあるベストなものと最悪のものをむき出しにする。日本で起きた悲劇は、日本人の驚くべき回復力を浮き彫りにした。国民性を明確にすることは用心しなければならない課題であるが、日本人がこの悲劇に直面したときに示した尊厳ある冷静さは、たぐいまれなものがある。
日本の回復力は必ずしも、日本人が持っている生来の心理学的な特質の観点から説明できるわけではない。それはまた、日本全体の用意周到さにも表われている。地震と津波の早期の警告システムが何万人もの命を救ったことは、ほとんど間違いない。
日本は、大陸の端の孤島として、地球上もっとも地震活動が活発なスポットのひとつに位置しているので、どれほど近代的な快適さや贅沢があったとしても、災害の崖っぷちに生きている国である。その言語でさえも、いかにしてこの危険性に対する意識が国民の意識を形成してきたか、その証拠となる。私は日本人のハーフとして、一国のものの見方を明確に述べる方法を知っているはずの人間として、このことを言っている。その私でさえも、「ガマン」を定義することは難しいと思う。被災地で取材したほとんどの人が自分たちの状況を述べるのに使った言葉だが、enduranceとself-abnegation(自制)のユニークな混合だ。あるいは「ショウガナイ」というのはどうだろうか。これは“There's nothing you can do”とあまりにも単純に訳されるが、それはどこか違う。この言葉に含まれる運命論は、人生の予想のつかない変化に対する無力感だけを意味するのではなく、コントロールできないことを克服する、冷静な決意も意味するのである。第二次世界大戦中の最後の欠乏の時代の憂き目を経験したことがない人でさえ、日本人として何が必要なのか、がわかっている。
「我々、若い世代は一丸となってこの悲劇を乗り越えるべく、一生懸命がんばる」と、24歳の大学院生シミズ・マミコは言う。
秩序感覚は政府のマニュアルに限ったことではない。大震災の惨禍が起きたあと、略奪もなければ、暴動もまったくなかった。凍りつくような天候のなかで、食料、水、燃料を望む人が長蛇の列をなしたが、もらえないこともあったという。それでも怒りは炎上しなかった。生活必需品を配給することにおいても、ほとんど不平は出なかった。みんなが平等に苦痛を共有しなければならないという前提に立っているからだ。(中略)
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