昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感?

2006.07.21 Friday 02:11
くっくり


 マッカーサーは「この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした」とし、「天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとった」と述べている。
 もっとも、米国政府が、天皇の名を戦犯リストからはずしたのは、より高度の政治的判断、つまり日本での占領政策を円滑に進めるには天皇の影響力を利用するのが一番よいという考えにもとづくものであった。だが、この時期、天皇が「全責任を負う」というお気持ちに強く傾いていたのは確かのようである。当時、最も天皇の近くにあった木戸幸一は、その日記にも書き、さらに後年、日記とは、また違う率直な口調で語っている。「陛下は、自分1人が代表して責任をとる。そうすれば、他の戦犯は許されるのではないか、といわれた。しかし、連合国の連中は、ああ、そうかと陛下を戦犯にするだけで、他の連中も許しはしないだろう。それでは損だから、おやめになった方がいい、と申し上げたんだ」

 木戸幸一は終戦までの5年7か月の間、内大臣を務めました。内大臣は国務大臣ではなく、天皇の側近中の側近。天皇の助言役、相談相手で、自身が国政の表に出ることはなかったのですが、天皇の発言に大きく影響を与え、結果的に皇室や国務に影響を与えることもありえました。
 木戸は天皇の最側近として「A級戦犯」とされましたが、後に名誉を回復しています(後述)。

 昭和天皇のこういった「自分が全責任を負うことで他の戦犯を何とか助けたい」という趣旨のご発言を無視し、富田氏のメモだけを取り上げて、「首相は参拝するな」とか「A級戦犯を分祀しろ」という方向に持っていこうとするのは、いささか乱暴なことのように思えます。

 また昭和天皇がA級戦犯の名誉回復をどう考えておられたか?という問題もあります。

日本の戦争犯罪 - Wikipedia
国の為に良かれと行動したA級戦犯、BC級戦犯は被害者でもあるとする国民意識から、1952年(昭和27年)6月、日本弁護士連合会が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出したほか、戦争受刑者釈放を求めた署名運動もはじまり、国民運動として大きな広がりをみせ4千万人という署名を得た。

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