2006.03.28 Tuesday 02:00
くっくり
ザ・ローダウンという、一九三九年一月に出された、こういった雑誌があります。日本の研究家の茂木さんという方が、大変苦労してこれを入手して翻訳しておるわけでありますが、この中に、このティンパーリ氏が責任者をやっていた記事が載っておるところがあります。そのところを、時間がないので簡潔に、速く読んでいただけますか。よろしくお願いします。
○梅田政府参考人 読ませていただきます。
ちょっと長くなりますが、日中戦争に関して、プロパガンダのニュースリリースにより残虐写真が新聞社にあふれ始めた。これらのほとんどは元上海の新聞人が経営するトランスパシフィック・ニュース・サービス社から出たものである。残虐写真のほとんどのものはまともな検証がされていない。また、大部分のものは二十年前に連合国によってつくられリリースされたベルギー残虐事件と同じような手法でつくられたものである。最も忌まわしいものとしては信頼の高いAPに流されたものである。それが印刷物に載るとだまされやすいアメリカ人はしかるべく反応した。写真は日本軍将校が十字架に縛りつけられた中国人捕虜を使って銃剣の練習をしているのを写したものである。もう一人の日本軍将校は大げさな笑い顔でこれを見ている。APは写真は本物であると言い張ったが、その後それを取り下げ、複写したものであることを告白せざるを得なかった。
その一枚の写真の歴史は興味深いものである。というのはほとんどのその手の写真の歴史に光を当てることになるからである。最初、その写真は、一九一九年に上海で絵はがき用に売り出された。それは内陸地方で暴虐を働く軍閥の一人を非難するプロパガンダとして使われていた。その後、今度は北方の地域で中国の共産主義者の将校が中国人の捕虜を虐待している写真として使われた。その後、日本軍が満州へ進出すると、反日プロパガンダに使われた。満州の危機が収束しニュース価値がなくなると、今度は蒋介石が中国紅軍掃討作戦を行っているときに中国共産主義者によって行われた残虐行為を写したものとして再び登場した。
最も最近に使われたものは、お決まりの目的である、アメリカ人の同情心をかき立て、反日感情をアメリカで高めるものであった。
そういう記載がございます。
○松原委員 これは一九三九年に出されたものでありますが、ちょうど南京のことをティンパーリが、しかもこのティンパーリが責任者であるその雑誌において、それがここに出てくるトランスパシフィック・ニュース・サービスですよ。ティンパーリというのはどういうことをやってきたのか。それがどれほどでたらめなことをやっていたかというと、一九三九年のローダウンという書物の中に書いてある。
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