2006.03.28 Tuesday 02:00
くっくり
この中国のチベット制圧について、ペマ・ギャルポさんがこういうふうなことを言っていることに対して、麻生大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
○麻生国務大臣 この方は、教育を日本で受けられたりいろいろしておられますのでお詳しい方なんですが、チベットに関する経緯についていろいろ議論があることは承知をいたしております。
いわゆる一九四九年、中華人民共和国成立直後、たしか中国政府は、帝国主義勢力からチベットを解放すると宣言されて、翌五〇年十月、人民解放軍がチベットに進軍開始、そして五一年五月、中国中央政府は、チベット地方政府を、いわゆるチベット平和解放に関する十七カ条の協定を締結、同年十月、ダライ・ラマは同協定が友好的に締結されたことを毛沢東に対して表明、同月、人民解放軍がラサに進駐したということに、歴史上にはそのようにされております。
それに対していろいろ議論がありますことはもう確かなところで、日本にもいろいろな形で、今も何となく、漢民族がどんどんふえてみているとか、いろいろお話があるので、こういった話があるとは思っております。
ただ、基本的には、松原先生、こういったことが言われておりますけれども、国際法的に見ますと、チベットの話というのは、これは中国の内政問題ということに多分なるというのが基本的なところになるんだと思っておりますので、日本としてはそれ以上、これは中国の内政問題としか言いようがないというのが公式な立場だと存じます。
○松原委員 そうした議論を踏まえた上で進めていきたいと思いますが、南京大虐殺というのが一つのイメージとして、特にアメリカの多くの知識人、場合によっては親日的な政治家まで、南京はひどかったねと、その事実を肯定した上で話をするというような、大変に先人に対して顔向けできない状況が私は続いているだろうというふうに思っております。
この南京大虐殺を一つ事実あらしめた、その功績あるというか、その原因をつくった人物として、ティンパーリというマスコミ人がよく言われているわけでありますが、ティンパーリと中国国民党との関係について、ちょっとお伺いしたいと思います。
○梅田政府参考人 お答えいたします。
ティンパーリ氏につきましては、日本軍の南京占領当時、これは一九三七年の十二月でございますが、中国に駐在していたマンチェスター・ガーディアン紙の特派員でありました。同時にということでございますが、中国側の資料によれば、同氏は中国国民党国際宣伝処顧問、同処在ロンドン事務所主任であったとされております。
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