Comments
- nansi
- 2006/08/14 01:36 PM
- 普通、法務や刑事の筆跡判定の場合、大量のサンプルを元に、計量的統計的に行われるのではなかったでしょうか???
筆跡の癖だけでなく書かれた器具や状況に影響されやすいからでしょう。
ある文字の筆跡はどのような書かれ方の傾向を持っているのか、そこからどのように逸脱しているとみなせるのかは、前提としてたくさんのサンプルを必要とします。
電脳物流さんの上げられたサイトでは、あくまでわずかな字数の中でしか筆跡を検証していないので
鑑定人の主観的な(古いタイプ)の筆跡鑑定にしか思えません。
ですから、部分をみて断定している点では、肯定説も否定説も同類かと思われます。
某新聞社はその意味でも全体をしかるべき第三者に預けるべきでしょうね。
秦先生の靖国に関する著作とうまく符号する説だから自説の補強のために肯定しているけしからん学者だって書き込みをよくみかけるもので。
- nansi
- 2006/08/14 02:08 PM
- 書き忘れました。
統計的方法を用いても、長文の中の重要な一語を書き換えられてしまえば鑑定は難しくなります。
ですから裁判などでも、筆跡鑑定は補強証拠でしかなく、あくまで証拠全体の文脈の中で総合的に判断されます。
日記類で重要な部分で一語書き換えられただけでも大変なことになるのは容易に想像できます。
歴史家は筆跡鑑定よりも文章や文意の流れで自然な解釈を優先するようです。当然、あくまで解釈ですから、認めたくない人はいるでしょう。そこで議論になります。
しかし、解釈だけで押し通すから学者は主観的でけしからんってことになれば、最初の書き込みにあるように、一種の人格攻撃になるわけです。
現代史のメモランダム類で広範な筆跡鑑定自体を要した事例を私は寡聞にして知りません。
筆跡より重要なのは、むしろ保管状況や発見状況などでしょう。
(美術品なら箱書きに相当する)。
こちらについては、現皇族の立場を気にせず、むしろ自由に検証できそうなものです。
富田夫人に関するゴシップぽいことは承知しています。
- 電脳物流
- 2006/08/14 11:38 PM
- 秦先生の人格を攻撃する方がいるのは嘆かわしいですね。
秦先生を貶めるかのような印象を私の投稿が与えたのだとしたら、意を尽くせなかった点を反省させていただきます
富田メモの保管状況や発見状況について公開されるべきとのnansiさまのご意見、大変よいと思います。
また、nansiさまのおっしゃる富田メモの全文をしかるべき第3者にあずけるという方法も検討されるべきでしょう
なお、引用させていただいた時事ブログ「グースの勿忘草」http://sky.ap.teacup.com/deep/188.html
さんについては、報道の公平を期するために富田メモは公開されるべきとのご意見で、日本経済新聞が情報を隠したままの状況の中で疑問点を指摘することで、富田メモの公開を促そうと努力されているものと理解しております。
私の引用の仕方が悪く「グースの勿忘草」さんの名誉を傷つけたのではないかと懸念し付言させていただきます
ご存知のように秦先生のような歴史学者の方々の基本的スキルに史料批判があります。歴史学の研究で史料を用いるさいに、その史料の正当性をさまざまな面から検討することです。
秦先生が従軍慰安婦問題を捏造した「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の著者である吉田清治の偽証を証明されたのも、秦先生が「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の史料批判を行い、済州島での調査という裏付けをとったためであると私は認識しております。
従軍慰安婦問題に対する科学的論証において秦先生の功績は、学問的にも、社会的にも大変大きいものがあると考えます。
史料批判には外的批判と内的批判があります。
外的批判は史料の外的な条件を把握してゆくことで史料の正当性や妥当性を検証するものです。
検討される項目には以下のようなものがあります。
偽造や改ざんされたものでないかどうか(真偽)
その史料はどのように伝えられてきたか、そのように発見されたか(来歴)
オリジナルの史料かどうか、伝聞や引用ではないのか
富田メモの保管状況や発見状況については史料批判にうちで外的批判にあたると考えます
内的批判は史料の信頼性を検討し、史料の性格や価値を判断するものです。
信頼性というのは、記述者と書かれた内容の関係を考察し、記事の確かさを検証することです。
これは従来の史料との整合性の検証や記述された状況や記述者の性格や意図によって記述に偏りが生じていないかどうかの検証となります。
従来の史料との整合などを検討するのですから、当然解釈中心の検証作業が生じるはずです。
内的批判を行うことを非難していては史料批判はおこなえません
史料批判にかんしては史料批判をもって議論がなされるべきだと考えます。
今般、富田メモの検証において秦先生が公表されたのは内的批判にかんする成果であったと考えます
当然ながら歴史学者ではない方が内的批判を行ってはいけないということなどあるはずもないのですが、明確な外的批判の論拠や証拠が示されない限り、信頼性が低くならざるえません。
歴史読み物は科学性や客観性を有した歴史学には属さず、文学の領域に属します。
明確な外的批判の論拠や証拠が示されないなかで、日経新聞が秦先生の内的批判を文学者の方々のコメントと同列に扱ったことがいわれなき非難を呼んだものとかんがえます
富田メモに関して問題なのは、秦先生の史料批判における内的批判ではなく、史料を公開せず、恣意的な報道を行った日本経済新聞にあると考えます。
このような日本経済新聞の姿勢が富田メモの偽造や改ざんを取りざたさせるているのではないでしょうか
このため外的批判が必要であり、富田メモの公開が必要であると考えるのですがいかがでしょうか。
何らかの事情で公開がさけれるべきであるとの社会的合意が形成されるならば、nansiさまのおっしゃる富田メモの全文をしかるべき第3者にあずけるという方法も検討されるべきでしょう
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