[2] 誰がために散る もう一つの「特攻」(6)〜(8)

Comments


花咲爺(はなさかじじい)
2007/06/28 05:34 PM
くっくりさん、よくぞ「誰がために散る」をご苦労されて載せていただきました。私も産経新聞で読み、日本人の多く、特に青少年に読んで貰いたいと、想いを新たにしていたところでした。
昭和46(1971)年、山口県徳山市商店街再開発計画に関係して徳山市を数度訪問、昭和53(1978)年2月13日午後からの徳山商工会議所講演会の前の午前中に、徳山港から船で約40分、回天基地のあった大津島を視察しました。御霊が漂ってるのか、寒々とした冷気を今でも想いだします。試験潜水の潜航艇が事故で浮上せず、乗組員二人、黒木、樋口大尉が息絶えるまで手帳にメモした事故報告書が、銅板に拡大して写されて、「回天記念館」入口壁に貼られてありました。当時は尚更のこと、今もこれを書きながら涙を禁じ得ません。
記念館に繋がる道路の両側には、一人一人の慰霊碑が建ち並んでいました。最初の碑に黒木大尉(岐阜県)、向っての碑には樋口大尉(東京都)と書かれていました。
同53年4月22日、岐阜県下呂町(現下呂市)の講演に行きました。講演前に町内を車で視察しました。ふと眼に止まったのが「黒木医院」と書かれた看板でした。ご案内下さった助役に、回天記念館前の「黒木大尉(岐阜県)」と書かれた墓碑の話をしたのです。黒木博司大尉(殉職後少佐)のお兄さんが院長の病院でした。私の講演会にお兄様がご来聴下さいました。勿論私は講演の中で博司大尉の話をしました。
以後、回天に関する資料、書籍、故博司氏が慕った東大教授平泉博士が故黒木少佐に餞とした「慕楠記」等を読みました。
この度、膨大な数のブログの中から、偶然にも、くっくりさんの労作に触れて、故黒木少佐とのご縁に感謝し、くっくりさんにお礼を申し上げます。
たかひろ
2007/06/28 05:57 PM
いつもROMさせて頂いています。くっくりさん、いつも大変な労作業ありがとうございます。

今回の連載を全く知りませんでした。時々、新聞を買う時は必ず産経を買っていますが、わたしのように定期購読していない多くの人にとってはくっくりさんの労力が無ければ、一生目に触れる事もなく終わってしまう所です。

法的な事はそれとして、恐らく記者の方も、こういう形で産経読者の何倍もの人達に貴重な事実が伝わり、残る事こそ本望では無いでしょうか。私が記者なら立場上出来ない事をやってくれて感謝しますよ。

回天は搭乗員が自ら発案、実現したんですね。「強制」だの「可哀想」だのと間違った「ファンタジー」を早く払拭して事実が広がるといいですね。それが、よりよい日本の社会を造っていくことにつながっていくと思います。

これからも、貴重な情報の拡声器として頑張って下さい。

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