[2] これでいいのか皇室報道

Comments


ライアン
2007/06/10 01:47 AM
ここまでのコメント読んでいて思ったことを書かせていただきます。

とりあえず、価値観が絶対的に異なる人同士が、こういった問題について熱く意見をぶつけた所で全くの不毛かと。
というか、どんな事象についても自分と異なる価値観を持つ人間がいるなんてのは当然で、その異なる価値観を持っていること自体を悪だと言わんばかりの論調はやめたほうがいいと思う。
確かに他人の名誉を不当に毀損する行動や言動は精神的に幼いと感じるし、僕も支持しない。
でも、皇室を敬う対象として捉えるか否かという部分については、個々人の価値観に沿って判断されるべきものだと考える。

僕が嫌いなのは「日本人なら〜〜〜」といった言い回し。さも、国家という枠組みの内側の人間全体が共通の価値観を持っているかのように語る人もいるが、そんなことははっきり言ってありえない。それなのに、自分の論がさも「日本人としての必要条件」であるかのように語るなよと言いたくなります、はい。
実際、日本史を見てみれば、皇室を社会統治の機関として捉え、自身が敬意を払う必要は認めなかった政治指導者はそれなりに存在するんだし。

ちなみに、僕は自分を左の方の人だとは思っていません。実際、経済政策なんかについてはかなり右ですし(基本は弱肉強食で良い)、軍事的にも現実主義者のつもりです(核武装についても、抑止の有効性の観点から賛成ですし)。
福原
2007/06/10 05:00 AM
>皇室を敬う対象として捉えるか否かという部分については、個々人の価値観に沿って判断されるべきものだと考える。

 私自身、プライベートじゃ「天ちゃん」と呼んでいるか否かとは無関係に、憲法で明定されている象徴天皇について、「個々人の価値観に沿って判断されるべきもの」・・・、護憲派としては「憲法を冒涜する無法者」なんだけども、当人にそんな自覚はないんででしょう。
Tdd
2007/06/10 05:06 AM
>ライアンさん

>とりあえず、価値観が絶対的に異なる人同士が、こういった問題について熱く意見をぶつけた所で全くの不毛かと。

揚げ足を取るようですが、そういう態度でもって最初から対話を諦める態度のほうがなおさら不毛かと存じます。考えが大幅に異なっていようとも、対話を行うことを通じて、「どの部分からどのように異なるのか」を明らかにすることは有用なことであると思いますので。

「価値観の多様化」というフレーズはなかなか便利な言い回しですが、ぼくはこの言葉をほとんど使いません。なぜならこの用語は、自分の考えに対する「潜在的な自信のなさ」を抱える人によって、外部からの騒音を排除せんがための「言い訳」として使われる場合が非常に多いからです。

議論の相手に対する最低限の礼儀をわきまえている人であれば、主張内容が異なっていてもそこそこ「対話」にはなるものです。ここでぼくが言う「最低限の礼儀」とは、別に難しいことではなく、「相手の名前やハンドルには必ず敬称をつける」「レッテルを貼るような行為はできる限り控え、相手の所論に即した論理的な応対を心がける」「『頭がおかしい』等の人格攻撃は絶対に行わない」程度のことです。少なくともぼくは、ある相手との議論が不毛であるか否かは、相手がそのような「最低限の礼儀」をわきまえているかどうかを見定めてから決めることにしています。反論を食らって自分の考えの浅さに気づかされる場合もありますので。


>というか、どんな事象についても自分と異なる価値観を持つ人間がいるなんてのは当然で、その異なる価値観を持っていること自体を悪だと言わんばかりの論調はやめたほうがいいと思う。

ここでの一連のコメントの中で、皇室制度に否定的な態度を取ること「自体を悪だと言わんばかりの論調」のものなんてありましたっけ? 具体的に指摘してください。


>僕が嫌いなのは「日本人なら〜〜〜」といった言い回し。さも、国家という枠組みの内側の人間全体が共通の価値観を持っているかのように語る人もいるが、そんなことははっきり言ってありえない。それなのに、自分の論がさも「日本人としての必要条件」であるかのように語るなよと言いたくなります

表現の上っ面を眺めただけで相手の言い分の中身を決めつけてしまうような態度はいささか短絡的であるようにぼくは思います。ぼくの見る限り、「日本人であれば」云々という言い回しを用いる人は(すべての人がそうだというわけではありませんが)おおむね「わが国の歴史・伝統・先人の業績」といった事柄を踏まえた上で、 そういう語り方をしているように思います。ぼくはライアンさんのような捉え方をされる可能性を考慮して、自分の所論にそうした言い回しはあまり使わないようにしていますが。

ついでに書いておくと、ぼくが「日本人ならば」云々という言い回しをためらわずに使うのは、事が「日本国民としての義務と責任」にかかわる場面です。例えば「日本は過去の侵略戦争に対して謝罪し反省しろ」と言いながら、国旗や国家に対して「押し付け反対」と言う「日本人」がいますが、ぼくはこうした人たちに対して非常に嫌悪感を覚えます。「日本人ならばまず国旗と国歌をわが身に引き受けて戦争責任云々の話をすべきだ。それら(国旗と国歌)を忌避することは非難だけ好きなように行なって責任は取らないという姑息な振る舞いである」と思いますので。

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