[2] 夫婦同姓に合憲判断! なぜか議論されない「子供の姓」

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kahn
2015/12/24 01:19 AM
宮崎哲也氏は、この問題について

夫婦別姓と言う「個人」にこだわる割には、親の苗字という「血統」にこだわっているのは極めて前近代的ではないか

と言う内容の(幾分揶揄を含んだ)批評をしています。
また、ネット上では、

結婚による改姓が人権侵害なら養子縁組による改姓も同じ理由で人権侵害ではないか

という論点を提示している人もおり、個人的には、その問題意識は正しいと思います。
夫婦よりも親子のつながりが強いということについて、合理的な説明がなされない限り、この問題提起は有効です。

実は、民法上の規定では「氏」となっており、「姓」ではないのですが、「姓名」といわれるように、「氏」、「苗字」、「姓」と言うものが事実上同じものとして認識されていることによる議論の混乱があります。

例えば、在日朝鮮人問題でよく出てくる用語で「創氏改名」と言うものがありますが、ここでも「氏」であって「姓」ではないというところが「ミソ」です。より正確に言えば、当時の朝鮮戸籍に記載されている人は

夫婦別姓かつ夫婦同氏

と言うことになります。
ここでは、混乱を避けるため、「苗字」または「氏」を主に使います。

発展しすぎた一族の場合、親子兄弟で苗字(氏)が異なる場合が良くあります
例えば
父親:閑院
長男:三条
次男:徳大寺
三男:西園寺
と言う例もあります。

また、江戸時代では
十四代将軍の座を徳川慶福(家茂)と徳川慶喜との間で争ったと言うところを
紀伊慶福と一橋慶喜との間で争った
と言うこともあります。

つまり、「独立した家計」を営む一家であれば、親兄弟の間で苗字(氏)が異なる場合がありますが、それでも「特定できれば」あまり問題とならないものです。現代で類例を探せば、一家が芸能人であれば、親兄弟で名前が異なる場合が結構ありますが、それでも問題視されないという事例でしょう。

で、今回の問題は「同一の家計」で別々の苗字(氏)を名乗ることの是非なので、これまでの「歴史的経緯」とはいささか次元を異にします。

もちろん、夫婦共働きで「独立」して仕事をしている場合には「独立した家計」と同様、「職場」では「夫婦別姓」でもよいというのが、今回の「別姓容認派」の立脚点になるでしょう。
しかし、ここでも、何人かが言及していますが、

子供(未成熟子)を養育中の家庭全体を指す名称

は何らかの形で統一する必要があるということです。
この意味における「○○家」という集合名詞は現代でも意味を失っていません
(未成熟子を養育している一家は「同一の家計」であることはほぼ自明だからです)
そして、この意味(より正確には「家産共同体」の総称)である「苗字」は統一されるべきでしょう。

もちろん、「家庭」と「職場」で「氏」を使い分けることは現在でも「旧姓使用」と言う形で可能となっています。で、同一人の判定が可能であれば、各所で名前を使い分けても問題ないでしょう。セキュリティ上の問題はあっても、「マイナンバー」制度が軌道に乗れば、戸籍とリンクさせれば、技術的には解決可能です。

で、現代の戸籍が「一家一戸籍」を原則としていることと、「未成熟子」の養育という観点からすれば、戸籍上は「夫婦同姓(氏)」というのが論理的結論でしょう。そして、戸籍上の名前と職場での名前での「リンク」に「マイナンバー」を活用するということです。

「子はかすがい」と言う言葉がありますが、この問題でもそうなります。

ここからは、派生的論点ですが、夫婦別姓、事実婚、同性婚など結婚・家族制度を巡る論点が百花繚乱の様相を呈していますが、少子化対策の観点からも「共同養子」の制度を創設して

1 未成熟子を共同養子として「同一の家計」で養育する場合には、その「共同養親」相互間で配偶者と同等の恩恵を与える

2 共同養子の養育が終了すれば、「共同養親」相互間の関係は「ただの同居人」の関係となる

とすれば、同性婚、事実婚の問題は事実上解決します。異性婚の場合は現行制度を維持
(共同養子関係については、戸籍で確認できます)
また、中絶される運命だった子供が、養子となることによって、生きることができるという効果もあります。

核家族化と「家制度」の崩壊に伴い、養子が日陰者扱いされてますが、少子化と言う側面から、養子制度の「再評価」と言うものをすべきだと思います。

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