[2] 「文藝春秋」富田メモ

Comments


nansi
2006/08/14 09:41 AM
現代史には資料鑑定の専門家ってのはあまりいないようですよ。
故人の知人や知人の周囲と親しかった人、同種の事例に関して一般的な研究をしている人たちの、一種の印象の多数決で決まるようです。今回のこともおかしいかも知れません、しかし、そうなると現代史のほぼ全ての分野で資料鑑定に疑問符をつけなければいけません。
今回のメモを偽造、あるいは誤報であれば、政府はとっくに動いているのでは?安部ちゃんあたりは特に必ずアラを見つけ出すと思うのですけれど。
議論の方向として、結局、学者の人格攻撃にしかならないのは悲しいです。
電脳物流
2006/08/14 11:49 AM
nansi様、ご意見ありがとうございます。
現代の資料を対象としての筆跡や資料の鑑定は歴史資料ではなくビジネスの分野や司法の分野で盛んなのですね。契約書や遺言の真贋が問題になる場合、筆跡や資料として鑑定が非常に重要に重要になるわけですから。
したがって、資料鑑定の専門家は現代の資料の鑑定については大量に存在するわけです。
通常、現代史の専門家はこのようなプロセスを経て検証済みの資料をもとに考証するわけです。
富田メモをめぐる一連の報道の問題は、そのような当然の鑑定を経ておらず日本経済新聞内部の検討しか行われていないことです。
このような訳で富田メモの信頼性に疑問を呈することは、現代史を専門家の皆様を貶めるものでも現代史の研究に用いられた資料の信頼性を疑うことにもならないと考えますがいかがでしょうか。

宮田メモの筆跡の分析は日経新聞
が富田メモを抱え込んだままなので困難ですが、映像から分析を試みた方がいるので紹介させていただきます
時事ブログ「グースの勿忘草」
http://sky.ap.teacup.com/deep/188.html
公開映像と筆跡鑑定のプロセスが画像つきで丁寧に説明され公開されておりますのでごらんいただければと考えます

引用の出展を示せば自由とのことですの一部引用させていただきます。『筆順の違い
 中曽根の「根」。所長の「長」。足の部分に注目して下さい。
 
 何となく似ている感じはしますが、足の部分の形が違っていますね。
 黒メモが一筆で書いているのに対し、青メモのほうは二筆になっています。崩して書いてある青メモほうがニ筆になっているというのは妙ですね。
 文字の形は似せれても、筆順というのは個人のクセが出るものです。


■点の角度
 意見の「意」の足の部分は「心」です。点の角度に注目して下さい。

 左側の点の角度が、黒メモは内側向き。
 青メモのほうは外側に向いています。


■点の位置
 さらに二個並んだ点の位置を見てましょう。
 
 黒メモのほうは外側の点と接触していますが、青メモのほうは内側の点と接触していますね。

 点の位置や角度というのは個人のクセが強くでる部分です。数日の間に変わるということはありません。



■数字の書き方
 数字のバランスを見てみましょう。

 2の足の部分というのも個人のクセが出る部分です。
 黒メモのほうは直線的。アルファベットのZに近い感じ。
 青メモのほうは丸めてアーチ状になっている雰囲気です。

 また4の横幅も問題です。
 黒メモが狭いのに対して、青メモのほうは明らかに広いです。


■ひらがなの比較「て」

 黒メモのほうは、「て」の尻尾の部分が直線からやや下向きの印象ですが、青メモのほうは上向きに弧を描いています。 
 黒は直線的、青は曲線的という全体的な印象、数字の2のクセに近い傾向が出ています。
さらに、「て」の最後の部分ですが、黒メモのほうはしっかりと止めています(太く黒くなっている)。一方の青メモのほうは抜いてある感じです。
 こういう単純なクセというのは隠しがたいし、真似し難いものとなります。


■偽造説
 ということで、前回の紙質の検証、今回の筆跡鑑定を見る限り、筆者としては「双方のメモは同一人物が書いたものではない」と結論します。
 黒メモは四月二十六日、青メモは四月二十八日の日付になっています。ほんの数日で筆跡が大きく変わることはありえません。
』すみません。ブログでは明確に表示されているのですが、こちらでは画像を紹介できないのでわかりづらいですね。
時事ブログ「グースの勿忘草」
http://sky.ap.teacup.com/deep/188.html
をごらんいただければ幸いです。
なお、ブログの内容は2006年8月14日現在のものです。

秦先生の今までの学問的業績と社会的行動は大変尊敬しておりますし、半藤先生や保坂先生の作品やエッセイについては楽しませていただいております。

資料鑑定がされていないことと、資料が本物であることを論証された先生方が明確な根拠を示されず資料鑑定の能力自体に信頼性がない点を指摘しただけで、先生方の人格を攻撃する意図はまったくございません。

議論や検証は論理と対話に従って相互に高めあうもので、論理は個人の人格とは別個に存在し、人格や人的ネットワークとは別個に議論され検証されるべきだと存じますがいかがしょう。

つまるところ、日経新聞が富田メモの公開を行い、第3者が資料鑑定や筆跡に分析を行い、広く現代史の専門家が検証を行うことが重要ではないのでしょうか。

長文で大変失礼いたしました。

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[Serene Bach 2.04R]