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- 匿名
- 2018/07/07 01:12 AM
- 京都は1950年から78年の間、知事を務めた蜷川氏の「15の春を泣かせない」という名言?の下に、高校は受験戦争を緩和し誰もが入りやすいようにと小学区制。府立高生なら住所を聞けば行っている高校名が自動的にわかる状態でした。
学区でトップクラスの子も、授業について行くのが困難なような子も同じ高校に行くのですから、先生も教えるのが大変、高いレベルの授業をするのは無理。成績のいい子も学校の授業では実力を伸ばしにくく、難関大学への進学は難しい。
「15の春は泣かさない、で代わりに18の春で泣くことに」と府民は陰で揶揄。知事の崇高な理想とは裏腹に、京都の府立高は勉強だけでなくスポーツも大したことないと府民は自嘲気味。
高校が小学区制の世界で育つと、大阪の「成績によって進学する高校が異なる」状況がピンと来ず、大阪の子にうっかり「〇〇さんとは(住所が近いから)同じ高校だったの?」と聞いて、「私は(進学校の)〇校!あの人は(それよりレベルの低い)✕校。一緒にしないで!」とすごく怒られて驚いた記憶が。
大阪ではどこの高校出身かは大事なことだったのでしょうが、「でも結局同じ大学に入ったのだから、レベルの低い高校から受かった子の方がエライのでは。そんなすごいという高校に行っておきながら、結局入れた大学は見下してる高校の子と同じなのだし。」と内心呟いた。
でも大阪でも「高槻方式」というのが存在したことがあったのですね。
その後京都でも高校の小学区制への批判が高まり、今は自由に選んで受験出来るようになって、色々な面でかなりレベルがアップしたようです。
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