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- 町工場の親方
- 2014/01/19 12:46 PM
- 燃えよ!石原慎太郎、細川護熙の正体3.
その後の細川氏の政治家としての推移を眺めてみると、自分の能力の及ばぬある新しい認識や意見等に対して、前後のさしたる判断もなく簡単に飛び付いてしまう浮薄というか不気味ともいうか、それそのこと自体が彼自身にとって己の感性なり知性の証しのつもりでいるような軽率な挙動が散見される。
それは、彼の祖父の近衞文麿などという愚鈍な男が中性的な存在としかいいようのない西園寺などという元老のペットとして宰相に祭り上げられ、何を血迷ったか己の知的側近の中にソヴィエトのスパイの走狗だった尾崎秀美(=朝日新聞記者)、などという男まで加えて憚らず、結局国家の安危に関わる情報を垂れ流しにして国運を誤らしめた伝にも似ている。
自民党の内紛のとばっちりで出来てしまった、僥倖にも醜聞であえなくついえはしたが、細川内閣などという滑稽な政権の主宰者として彼が行なったいくつものあまりに短絡にすぎた発言も、私から眺めると彼の側にいた彼よりはいささかましな、しかし大方は同じ程度の誰かが口にしたことをそのまま鵜呑みにしての発言だったに違いない。
そう思って眺めれば政治家たる当人にとってはいかにも惨めで痛ましくもある話しだが、国家にとってはとてもそれですむことではない。
日本のか関わった戦争はすべて間違いであったなどという首相としての彼の発言にしろ、最初の訪米で代案もなしに、ただ見栄を切ってのNOの発言にせよ、そうした発言の根底に当人自身の歴史観なり、独自の価値観かあるというものでは決してない。自らの政治的IQの低劣さ、というよりその欠如を糊塗するための言動で国家の名誉や利益を無視、というよりそれに気づくこともなく過ごされたのではたまったものではない。
後にも記すが、野党としての自民党の代表として予算委員会で私が行なった、彼の歴史に対する発言への詰問で、その度返ってきたのは小学校の生徒が教師にこんこんなと諭された、喧嘩をするのは悪い子ですよ、といった類の稚拙な所信でしかなく、こちらの質問の理解を欠いたままそれをくどくどと繰り返される度、暗然とさせられたものだ。
新進党の最初の党首に羽田氏を退けて海部氏を据えたとき、黒幕の小沢氏が、「担ぐなら軽くてパア」、がいいと言ったと同じ原理で作られた細川内閣をあてがわれる国民の不安と不幸の代償をもー、政治はいつまでかかってどう支払うつもりなのだろうか。
・・・・
細川内閣の末期、寄せ集めの内閣としては、内閣内部とそれを構成している各野党の地方末端組織ではいろいろギャップがあって混乱を生じていた。たとえば山梨県の北富士練習場での、久し振りの日米合同演習の実施の政府決定が政党としては地方まで徹底しておらず、社会党や公明党の地方議員たちが今までと同様、反対運動の準備をしているのに困惑した見知りの地元の市町村長が相談を持ちかけてきたので、『さきがけ』、代表の武村官房長官に会い、内閣として早めに手を打って調整しないと、内閣不統一は野党たる自民党には好都合だが地元が迷惑すると忠告したことがある。
その時、すでに細川首相との不仲が伝えられていた武村氏が
「考えてみると、細川さんを最初に政治家に政治家にしたのは石原さんでしたよねえ。あなたなら詳しくご存知じゃないんですか」
真顔で言う。
「いや、私にはどうもよわからんのですが、細川というのはあれはどういう人ですか。つまりその、どんな人間なんでしょうね」
「ああ、あれは魚だよ」
いってやった。
「魚?」
「魚というのはな、痛覚がないんだ。釣り上げて真っ二つに切り裂いても、骨を抜いても、血は流れていかにも無残そうにみえるが、彼らは一向に痛くはないんだよ。それと同じだよ。あのや男には痛覚が全くない。つまり人間としての対手に対する謝意がないのだ。感謝でも陳謝でも、とにかく謝意というものを一切持ち合わせない人間なんだよ」
いったら相手は膝を打って、
「なるほど、よくわかりました」
言ってはいたが。
言いながらその時私は、細川氏の選挙に関わ私以外人間たちの苦労のの要らざる結果、候補者当人がどんな風に報いたかをいくつかの挿話で思い出していた。
彼の選挙の巻き添えでTという都議会議員は選挙違反に問われ結局議員の資格を剥奪されてしまった。その報告を聞いた折りの、Tに世話をかけた候補者当人のただただ迷惑そうな、それに対してどういう表情どんな言葉で報いたらいいのか皆目見当のつかぬ様子、それを咎めるなどという以前に私は不思議な生物を眺めるような思いでいた。
もう一つ、彼が婚約中の選挙だったが、候補者の際どいプライバシーに関わる出来事が起きてしまって、飯島氏がそれこそ献身的に対処して大きな譲歩を勝ち取ってくれた折の報告にも、当人は言い訳もあろうが、そうした事柄について他人が話すということ自体いかにも不服そうだった。
あるいは他人はそれを、ある選ばれた者としての特性などと言いかねまいが、この時代にいったいどこの誰が、自ら尽くさぬままにどう選ばれてあるということが出来るというのか。・・・・
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