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- THE GREAT 安倍晋三
- 2007/12/16 08:37 PM
- 前にも書きましたが、所謂南京事件についての私のスタンスは、中国政府の主張する 「犠牲者数30万人」 が事実なのかどうか、その一点にしか関心がないし、意味があるとも思わないということです。FAQ 集の中に 「”中国の定義は30万人虐殺” は議論の拒絶のため」 というセクションがありますが、議論の拒絶どころか、そこが最も重要なところなのです。
虐殺否定派と言われる人も、南京でそういう行為が皆無だったと主張する人はいないと思います。ここのブログ主さんも含めて否定派の人たちが何を否定しているのかといえば、「犠牲者30万人」 の部分だけだと思うのです。つまり、「日本人はナチスと同じ過ちを犯した人類史上稀に見る残虐非道な民族なのだ」 などとこれから子々孫々にわたって後ろ指さされていかないといけないなんて冗談じゃないよ! ということ。
FAQ 集においても、「犠牲者の数は正確に特定することなどできない」 という立場となっているようですが、そうなのであれば、つまり 「犠牲者30万人」 が立証できないのであれば、中国政府は記念館の展示も含めてこれまでの主張を直ちに公式に修正するべきだし、所謂虐殺肯定派の人もそこのところをちゃんと区別して、誤解の無いような言説を心掛けるべきであると思います。そのうえで、捕虜の扱いなどの不法行為等があったのであればそのことについて議論がなされることは私も何ら異存ありません。
私が言いたいことはそれだけです。
- 腰抜け外務省
- 2007/12/16 09:07 PM
- くっくりさん、こんばんは〜
なにやら大変な騒ぎですね。
はしげた殿、孤軍奮闘お疲れです。お疲れのところ申し訳ありませんが、浅学の私に如何につきご教示願えませんでしょうか。
資料1
東京裁判でロヴィン弁護士が「南京ニ於テ殺害サレタ数ハ30万トナッテ居リマスガ、私ノ承知シテ居ル範囲ニ於キマシテハ南京ノ人口ハ20万デアリマス」とズバリこの問題の本質を突く質問をした。
するとウエッブ裁判長はあわてて、「今ハソレヲ持チ出ス時デハアリマセン」とこの発言を封じてしまった。(「速記録」58号21・8・29)。
かくして、ついに東京裁判においても、南京市民の人口問題にはふれることなく、ただ10万とか、20万とか、12万7000とか、その数値さえも定かでない殺害数字を並べた珍無類の判決だけが下された
資料2
南京市長の馬超俊は、昭和12(1937)年12月1日、市民に布告して、市民は食糧および身の回り品を持参して「安全区」(難民区のこと)に移住するよう命じ、当時設立した「南京安全区国際委員会」(以下「国際委員会」と略称)に、米3万担(3000トン)、麦1万担(1000トン)、金10万両を委託し、警察官450名を残して、市民の保護を依頼した。
資料3
南京安全区国際委員会
寧海路5号
1937年12月14日
南京日本軍司令官殿
拝啓
貴軍の砲兵部隊が安全区に攻撃を加えなかったことにたいして感謝申し上げるとともに、安全区内に居住する中国人一般 市民の保護につき今後の計画をたてるために貴下と接触をもちたいのであります。
国際委員会は責任をもって地区内の建物に住民を収容し、当面 、住民に食を与えるために米と小麦を貯蔵し、地域内の民警の管理に当たっております。
以下のことを委員会の手でおこなうことを要請します。
1. 安全区の入口各所に日本軍衛兵各一名を配備されたい。
2. ピストルのみを携行する地区内民警によって地区内を警備することを許可されたい。
3. 地区内において米の販売と無料食堂の営業を続行することを許可されたい。
a われわれは市内の他の場所に米の倉庫を幾つかもっているので、貯蔵所を確保するためにトラックを自由に通 行させて頂きたい。
4. 一般市民が帰宅することができるまで、現在の住宅上の配慮を続けることを許されたい。(たとえ、帰宅できるようになったとしても、多数の帰るところもない難民の保護をすることになろう。)
5. 電話・電灯・水道の便をできるだけ早く復旧するよう貴下と協力する機会を与えられたい。
資料4
南京安全区国際委員会文書
第14号(1937年12月27日付)
それで、二〇万市民を養うために、前記二万担の米をわれわれが確保することを、許していただけるようお願い致します。
資料5
第19号(1938年1月14日付)
貴下が登記した市民は一六万人と思いますが、それは十歳以下の子供は含まれていないし、いくつかの地区では、年とった婦人も含まれていません。ですから、当市の総人口は多分二五万から三〇万だと思います。
(『南京大残虐事件資料集 第2巻』p138,p143。この後の文書は「25万」で統一されている)
資料6
さて、国際委員会が抗議した425件の日本軍非行の中には、非行でも何でもない事件もあり、前述のように伝聞、噂話、憶測が大部分であるが、これらをすべてクロとみて分類すると次の通りである。注(4)
殺人 49件
傷害 44件
強姦 361件 (多数3件 数名6件)
連行 390件 (多数1件 数名2件)
掠奪その他 170件
殺人わずか49件である。
大虐殺などどこにも見られないのである。
渡辺昇一教授によると、「“南京大虐殺”は英文の文献によると、Rape of Nanking(南京強姦)となっているのが普通であり、Massacre(大虐殺)という単語を使っている例はまず見当たらない」(渡辺昇一著「萬犬虚に吠える」173ページ)という。
ともあれ左記の数字が、12月13日(占領日)から2月9日までの約2ヶ月間にわたる南京における日本軍非行を記録した国際委員会の総トータルである。
以上の資料を見る限り、南京の安全地域にいた住民が当時の南京住民の殆どであり、その総数は25万人前後ということになると思います。
さらに虐殺が行われているとされた期間にも安全委員会と日本軍の間では食料の確保や、人口の登録といった極めて事務的なやり取りが行われ、しかも資料6に見られるとおり、殺人は49件しか日本軍に抗議がされていない。
こういう1937〜8年の当時の資料を見る限り、30万人の虐殺という姿は見えてこないのですが?国際安全委員会は事務的な連絡はしても虐殺への抗議はしなかったのでしょうか?それとも49件の殺人が30万人の虐殺なのでしょうか?
もしはしげた殿が30万人にこだわられるならば、南京市に60万人近い人口が当初あったはずですが、そのような資料はあるのでしょうか?
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