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- じいさん
- 2009/12/15 12:07 PM
- tさんへのお話しから外れますが、卑近な例で、結婚するとまず発生するのがお互いの家族付き合い、親戚付き合いです。
これに失敗すると「あの旦那は・・・」とか「あの嫁は・・・」となり後々まで尾を引きます。
結婚されている方は皆同じ思いではないでしょうか。
福沢諭吉先生も著書「学問のすすめ」の中で、全ての学問は「人間交際」のためにあると言っております。そう考えるとそういった付き合いも楽しめるようになってきませんか。一方的に自分の権利だけを主張するのは周りの人間関係を崩すだけですから。
しかし最近このあたりの前提が崩れてきていて、だんだんやったもん勝ち、法に触れなきゃ何やってもいい、個人だけの損得勘定(メリット・デメリットという言葉は嫌いです)で決める。となってきたような気がします。晩年、死ぬときに人間関係に恵まれず寂しい思いをするのはそんな人ではないでしょうか。
そのような荒れた下地を作っているのが、先のコメントでもWGIPに触れられてましたが、日本の苦境は戦後の日本思想の解体と歴史の分断、その反動で起こった自ら進んでアメリカへ抱きついた点です。そしてその状況下で保身に動いてしまう官僚や政治家・財界による目先の利権目当ての売国政策、それらが結果的に周辺国に利用されている状況が国柄を大きく損ねているという複雑な状況です。
更に大衆社会の到来でオルテガの言う「利口だが自分では何も考えないで世論に流され、権利だけはあると主張する人々の群れ=(大衆)」が溢れ、マスコミを通じて容易に扇動が可能ときています。
「公徳心(報国心)の無いものは国民にあらず」とも福沢諭吉先生は言っております。
とりとめもない話をしてしまいましたが、民俗学者の宮本常一先生がある村の会合での様子を描かれてますが、その会合では何日も掛けて周辺の話題にもじっくり時間を掛けて延々と話し合ったそうです。所謂本質のみの議論のロジカルシンキングでなく、サブ的な問題も議論することでその構造における本質を浮き立たせる。そのような議論の仕方を我々の先祖のかたがたはされていたようです。会議でよく横道にそれるのもこういうことかなと思いました。というわけで、どんどんと多岐に渡って家族や友人の間で話をしていけばいいのではないでしょうか。
先祖に思いを致し、未来の子孫のことを思い、今の自分の行動を決める。
変化が必要であれば「漸進的」に進めていくのが長い歴史と伝統を持つ日本の特質だと思います。抜本的に構造を改革してしまうと失敗しても(だいたい失敗する)元に戻せませんから。。。
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【十七条の憲法の要点(第一条、十七条):現代文訳】
一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ。
十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。
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昔から変わらないんですね。日本人って。長所であり短所でもあります。
しかし確かなことは、青山さんも指摘されている中共の様な小沢氏の独裁政治は古来日本人にはそぐわないものだということです。
またまた長文失礼しました。
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