[2] 細川護煕氏の「侵略」発言を知っていますか?Tweetまとめ14.01.01〜14.01.15

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町工場の親方
2014/01/19 12:43 PM
燃えよ!石原慎太郎、細川護熙の正体、2.

結果として、細川は半ばより上、談志は最終位で当選を果たした。

とまれ私の方はわが正式候補たる細川氏のために日夜奔走することになった。選挙の主体はなんといっても大組織の霊友会で、三浦氏が挫折してしまった後の遅れを取り戻すために候補者を手分けして、彼には参謀の飯島氏が同伴していって御披露目の後飯島氏が支援者に作業に関しての専門的な念を押すということだつた。

・・・他人から言われたことでもそれが良ければいかにももっともとうなずいて素直に認めるとうのは人徳ではあるが、彼(細川)に関してはそう見えたのも束の間、それが度を越すとこれまた奇妙、不快というか、果てはそれこそ著作権に関わりかねぬことになる。

かれがもともとどんな感性を持って生まれどんな躾け教育を受けて育ったのか知らぬが、他人の言ったこと、それもその人間の創意がもたらしたメッセイジだとするなら、それにはそれでしかるべき敬意が払われるべきものだろうが、悪しきか良きか知らぬが、それが彼の天性の一つらしく、その後いろいろこちらとしては往生させられたり怒らされたりしたものだった。
そしてそれを注意してみても当人が驚くほどあっけらかんとしているのは、もはや育ち以前に、やはり人格的に何かが欠落しているのではないかとしかいいようがない。
じつは私自身がそんな被害者の一人で、なにしろ時間が足りずに、数多い霊友会の日本中の大支部に手分けして回るのだが、それでもここはついでにもう一度私自身もでかけて念を押してくれぐれも頼んでおこうと出向いていき、集まってくれる会員たちに時局の講演会もしてきた。
ところがその後さらに時を置いて飯島参謀がいよいよ選挙に入った折の事務的、技術的な相談と注意に出向いていったら、会の大幹部の支部長が、二人きりになった折に息を潜めて、
「飯島さん、あなただから言うけれど、石原さんがここにも来てくれてね」
「はあそれでなにか」
「あの人も三年前に当選した現職の議員さんなんだから、もう少し勉強しないとねえ」
「石原が何か間違ったこととか、変なことを言いましたか」
「いやそれならまだいいんだが、石原さんの話というのがひと月前に来てくれた細川さんの話と全く同じでねえ、集まっている会員も同じだから、同じ話をまた聞かされて、私としては情けなく恥ずかしかった。あなたから一注意してくださいよ」
ということだった。

名参謀としてはその場で笑い出す訳にもいかず、殊勝に承って帰ってきたが、東京の事務所で呵呵と大笑いしながら、
「あなたも損な役目だねえ、でもこれからの名誉もあるから頭には入れておいた方がいいですよ。なにしろ相手が相手だから、しかしここはなんだろうと、とにかく耐えて耐えていかなけりゃ」

それくらいは苦笑いでもすんだが、実際に選挙が始まってから往生というか、まさに立ち往生させられたことがあった。
全国区は選挙用の車は三台公認され、候補者も私も別の車で手分けして日本中を回っていたが、東京、大阪といった大票田ではドッキングして街頭演説を行なった。
ある日候補者が東京に戻ってきて私と揃って西部地区、新宿、渋谷と盛り場での街頭演説をこなして回ったが、三年前の印象もあるから私の話には人々は立ち止まってくれたが、私が話を終えて、
「それでは今回の選挙で私たちの新しい世代の会の同志として立候補している、細川君をご紹介いたします」
といって彼を前に押しやるとそれを潮に細川などという見慣れぬみ候補を眺めただけで聴衆があらかた散ってしまうのだ。当人には気の毒だがどうにも仕方がない。
車をさらに移動して赤坂見附の交差点で演説を始めようとしたら、さすがに候補者当人が、
「石原さん、今度から演説は僕に先にやらせて下さい。せっかく人が集まっても僕の話を聞いてもらえないと意味ありませんから」
言い出したので
「そのほうがいいかも知れないな。今度からそうしよう」
うなずいて、同道していた司会役の前回の選挙以来の仲間で、保谷市の市議会議長をしていたがそのご都議会議員に当選していた、後に都議会議長も務めた、(ついでに言うと最後の選挙で、ぽっと出の日本新党の候補者に落選させられた)、小林莞爾氏に伝えて段取りを変えた。

ということで前回までと違って真打ちが私となり、その前座で細川氏が話始めたが、私の話はまだだから車を囲んでいる聴衆は段々増えては来ても誰も立ち去る者はいない。それで気をよくしたのか候補者の演説は前よりも声に張りが出てきたが、話が進むにつれて私としては思わず、真横で叫んでいる候補者の顔を、最初は遠慮がちにちらちらと、その内には不安というよりはたまげてまじまじと眺めなおさぬ訳にいかなくなった。

私だけでなく同じ屋根に立っている司会の小林氏も、東京での反応を確かめに新宿から車の下で聴衆に混じって様子を観察していた飯島氏も、視線が合うと肩をすくめながらにやにやしている。
それはそうだろう、私の真横で細川候補が大声でやっている演説の内容たるや、つい先刻まで私が池袋、新宿、渋谷でやったと全く同じ内容なのだ。

私の演説の内容が借りに十章節で成り立っていたとして、この男はいったいどこまで人の話を使うつもりなのかと思っていたら、話の折り目に入れていた軽い冗談、ここではという力の入れ具合まですべて同じで、私としては最後に彼自身のメッセイジがついて終わることだろうと思っていたら、締めくくりの言葉までそっくりさのままだったのには、唖然とし、かつ度肝を抜かれた。
聴衆の拍手はなかなかのものだった。それはそうだろうこちらとしてはあちこちで繰り返しながらブラッシュアップして来た話なのだから。その途端、司会が間を置かずに、
「それでは我々新しい世代の会の会長、前回の選挙では皆様の熱い支援の下にトップ当選させていただきました、石原慎太郎をご紹介いたします」
ということで改めての期待の拍手に迎えられ、細川候補がバトンタッチをするマイクを手にして一歩進み出してはみたが、十のうち十まで話し尽くされてしまっていま突然他の何を話していいのかにわかに言葉も出てこない。
そんな私の横で細川候補は凉しい顔をして、下にいる見知りらしい聴衆の誰かにしきりに手を振っている。
まあなんとかその場を凌ぎはしたが、私の方はどうにも出来のいい演説とはならなかった。下で聞いていた聴衆は細川という無名の候補は博識かつ迫力もウィットもあってなかなかのものだと思ったろうに。

よく俗に、世の中は駕籠にに乗る人担ぐ人、そのまたわらじを作る人などとは言うが、選挙という駕籠になり手が急にいなくになったのでこちらとしては念入りの物色の暇もなしに乗せた客だった。銀座の街頭演説で打ち上げてからの帰り道、飯島、小林の両氏ともどもいやはやと慨嘆し、それにしてもあのまったく悪びれれ様子もないところはやはり見上げたものというべきかななどと小林氏は言ったが、あの後私に向かって、にやっとでも笑ってみせ、どうもすみませんでしたと頭を下げずにいる候補者、あの時点で私としてはただただ怪訝に、異形の生き物を眺めるような気分で見直すしかなかった。

※、私のみならず、以上の文章を読んだ方々は、呆れるというか唖然としてしまったと思います。日本が大嫌い、そのかわりに、「朝日」・築地チョーニチ、が大好きな、支那・朝鮮の十八番中の十八番、《パクリ》、において、細川は連中を一枚か二枚上回っています。
これはサラリーマンとして、チョーニチの飯を何年か食った結果というより、持って生まれた、天性、独自の才能?としか考えられません。

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[Serene Bach 2.04R]