[2] 青山繁晴「ニュースの見方」田母神さんとの広島講演で語ったこと

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広島市民
2011/08/22 02:58 AM
件の講演会行って参りました
今回実際にお話を聞くことができ、感激しました
これもくっくりさんのブログで、青山さんについて知ることができたおかげです
ありがとうございます

以下は、1947年に当時の濱井信三市長による第一回広島平和宣言からの抜粋です
“~(原爆によって)広島は暗黒の死の都と化した。しかしながらこれが戦争の継続を断念させ、不幸な戦を終結に導く要因となったことは不幸中の幸いであった。
~略~けだし戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから。~”
GHQ の監視下で発表された、原爆を不幸中の幸いとするこの文は、非常に屈辱的だと思います
しかし占領が終わった今でも、広島は何ら変わらず自虐史観に染まったままです
一本の葦
2011/08/23 03:36 AM
原爆投下への真実の歴史を知るべき


( 平成19年08月07日 )


投稿者: 一本の葦


 原爆は三度と使われてはならない。 原爆の被害については

原爆を風化させるな! ( 平成19年08月06日 )投稿者: ノーモア戦争  

で数多く紹介されており、極めて貴重な情報である。 このサイトから、原爆投下直後のトルーマン大統領の演説を初めて読むことが出来た。 このトルーマン大統領の演説は真実を隠蔽した欺瞞であることを指摘したい。 彼は次のように語っている[1]。

「 16時間前、アメリカの航空機が広島という日本軍の重要拠点に一発の爆弾を投下した。この爆弾の威力はT.N.T 2万トンを上回るものだ。これまでの戦争の歴史において使用された最大の爆弾、イギリスの「グランド・スラム」と比べても、二千倍の破壊力がある。」

「 爆弾の威力はT.N.T 2万トンを上回る 」 は事実であるが、投下したのは 「 日本軍の重要拠点 」 ではなく、その近くの都市であり軍事拠点ではない。 次の欺瞞はもっと重大である。

「 7月26日のポツダムで発布された最後通牒では、この強力な破壊は日本人の身に降りかからないことになっていた。日本の指導者たちはこの最後通牒を即座に拒絶した。もしいまなおわれわれの要求を飲まないとなれば、これまで地球上に一度も実現したことのないような破壊の雨が空から降るものと思っていただかなければならない。」
-----引用終わり

アメリカ政府が原爆投下に至った真の歴史を見てみよう。

1944年9月18日、フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、原爆が完成した暁にはドイツでなく日本へ事前の警告を行ってから原爆を投下すると言う秘密協定を作った(この秘密協定は1972年に初めて公開された)[2]。

日本への原爆投下を押し進めたのは1945年4月12日のルーズベルト大統領の病死に伴いに大統領の地位についたアメリカ軍最高司令官としてのトルーマンであった。ロベルト・ユンクは次のように書いている[3]。

(p.301)
(ドイツ)第三帝国の降伏(1945年5月8日)の後くらい ロス・アラモスが快速調を見せたことはない。「全員ほとんど休みなく働いた」とアメリカの指導的原子科学者の夫人エレノア・ジェットは回想している。

(p.302)
そこヘグローブスが指令を発して、原爆第一号は七月半ばまでに実験できるよう、第二号は八月中に実戦に使用できるよう準備せよと要求した。フィリップ・モリソンはこう確言している。「八月十日間近の某日が、来る日も来る日も原爆完成という仕事に明け暮れした。われわれが万難を排し、・・・・、是が非でも厳守しなければならなかった秘密の最終期日だった。これは、わたしが身をもって証言することができる。」

この次の出来事を鳥居は「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」で次のように書いている[4]。

(p.187)
トルーマン大統領はホプキンズに次のことを行わせた、すなわち、5月30日の第4回会談でスターリンにアメリカ、イギリス及びソ連の三大国首脳会議の開催を7月15日頃にすることを同意させた。

(p.214)
5月31日と6月1日に原爆開発と製造に拘わった科学者を集めて諮問会議を開き・・・略・・・諮問会議に集められた科学者たちは、日本が末期的な状況であることを知らず、ソ連がやがて日本に戦争を仕掛けることも知らなかった。(大統領の代理という資格の)バーンズはかれらを巧みに誘導し、ときに強引に押さえ込み、使用の是非を論じることではなく、どのように原爆を使用するかということに議論を限定しかれが定めた結論へと会議の参加者を導いた。

(p.215)
大統領への勧告として、1)できるだけ早く日本に対して原爆を使用する、2)目標は都市とする、3)事前警告はしない、と言う3項目を決めた。

ヘンリー・L・スティムソン陸軍長官は日本が受け入れられるように天皇の地位の保証を約束した対日宣言草案をトルーマン大統領へ送った[5](p.172-173)。

トルーマン大統領は原爆投下が行われる迄日本が降伏を受け入れないように天皇の地位の保証を約束した部分を削除して(p.237)、ポツダム会議終了後1945年7月26日にポツダム宣言として発表した。

すなわち、トルーマン大統領は7月16日にニューメキシコの砂漠で最初の原爆の爆発に成功したことを知っており、原爆投下を念頭に置いてポツダム宣言を公表したが、この宣言文には原爆については明確には何も書かなかった。他方、8月3日頃以降天候が有視界爆撃が可能なときに原爆を投下せよとの命令はその前日の7月25日に太平洋戦略空軍司令官カール・スパーツ将軍へすでに送られていた[6}(p.500)。

トルーマン大統領は、「7月26日のポツダムで発布された最後通牒では、この強力な破壊は日本人の身に降りかからないことになっていた」と言ったが、事実は逆で、日本へ確実に投下するために最大限の努力を行っていた。また、「日本の指導者たちはこの最後通牒を即座に拒絶した」と責任を日本へ押しつけたが、「拒絶」するようにポツダム最後通牒を書いたのである。

日本への原爆投下はルーズベルト米大統領とチャーチル英首相の密約で決まり、ルーズベルトの後継者のトルーマンが、その密約を密約以上に忠実に実行した、と言うのが歴史的な事実である。「何百万人の米軍の命を救うためだった、日本国民の命さえ救った」というのは歴史に無関係の後で考え出された政治的プロパガンダである。

久間防衛大臣は在職中に、原爆投下を「しょうがないなと思っている」と発言して職を追われた。その時に話した「原爆が落とされなかったら、日本はソ連に占領されていただろう。だから、私はアメリカを恨むつもりはない。」は、彼が終戦時の歴史について、朝日新聞程度、小学生程度の知識しか持っていないことを示している。

それ故、久間発言で明らかになったより大きな問題は、原爆投下について小学生程度の知識しか持っていない者が、国家防衛の最も重要な地位に就くことが出来たことである。

原爆を二度使ったのはアメリカ政府であり、彼等がどのように考えて原爆の使用を決意したのかを知らなければ、次の原爆死を避ける方法は見つからない。

我が国のマスコミ、特に強制的に視聴料を徴収するNHKは、原爆の被害の大きさだけを報道し、悲惨な被害を生じる原爆は使うべきでは無いと言うが、アメリカ政府がその使用を決意した真実の歴史は一切報道しない。その結果、大多数の国民は真実を知らず、何も知らない無知な政治家が防衛大臣になる。

しかし、真実を知らなければ、アメリカ政府や世界の政治家を納得させうる議論を展開できないし、世界の世論や政治を核廃絶へ動かすことも出来るはずがない。

我が国のマスコミ、特に強制的に視聴料を徴収するNHKはもっと真剣に歴史を勉強し、政治的プロパガンダでない、歴史の真実を報道すべきである。

62年前に原爆で焼け死んだ多くの子供達の声を代弁して要求したい。

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[1] 広島への原爆投下を知らせる 大統領演説 
1945年8月6日 By Harry S Truman ハリー・S・トルーマン
http://www.bauddha.net/truman_19450806/h_v5/index.html

[2] 沢田昭二 「核兵器をなくす『反核ゼミ』」「原水協通信」No.710 (2003).
http://www10.plala.or.jp/antiatom/html/j/jsawa/jsawa-13.htm

[3] ロベルト・ユンク、 菊盛英夫訳「千の太陽よりも明るく: 原爆を作った科学者たち」平凡社 (2000).

[4] 鳥居民「原爆を投下するまで日本を降伏させるな トルーマンとバーンズの陰謀」草思社 (2005).

[5] ロナルド・タカキ、山岡洋一訳「アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか」p.200, 草思社 (1995).

[6] リチャード・ローズ 神沼二真, 渋谷泰一訳「原子爆弾の誕生 」 紀伊国屋書店 (1995).

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[Serene Bach 2.04R]