Comments
- まれびと
- 2009/03/31 07:24 PM
- ついでに…
異国の地で生涯を終えたロシア兵捕虜たちを埋葬した墓地は、市内城北の丘にあり、
現在でも、市民や地元中学生による清掃活動が行われています。
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/1185172_1021.html
ロシア人墓地(写真左2枚)は、日露戦争当時、松山の捕虜収容所に収容され、
この地で没したロシア兵を、来迎寺墓地に埋葬したものである。
捕虜に対して当時の松山市と市民の対応はまことに行き届いた温かいものだったらしい。
http://www.geocities.jp/tarnyn55/imabari-kaido-1/imabari01.html
興亜観音は、南京攻略戦(昭和12年)の責任者だった松井石根大将が、
支那事変で亡くなった日本人と中国人の兵士の霊をとむらうため建立した観音様である。
松井氏直筆の名古屋の石碑は、東京裁判で松井氏が処刑された頃、
巻き添えを恐れた関係者の手で池に投げ込まれたそうだが、
興亜観音はどうだったんだろうか?
http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn009/kouakann/kouakann.html
[5] comment form
[7] <<