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- heys
- 2007/05/28 02:46 AM
- 皆さんの解釈は早急なように思えます。
私は、その少年の心の内まで理解は出来ませんが
解釈の仕方でかなり変わるように思います。
「撃たなかった」のか「撃てなかった」のかです。
青山氏は前者の言葉を使っていますが、仮に後者であったならば内容が変わってくるように思われます。
そのときの少年の態度や顔の表情は、人質としてそのときその場に居た日本人にしか分かりません。
その場の空気はその場に居た人間にしかわからないのです。
もちろん、青山氏はじめ我々も分からないのです。
私は、裁判内容を含めた情報が入らない限り判断は出来ません。
恐らくアンカーのことですから裁判の内容に関して追跡取材を行うと思います。
そのとき更なる真実がわかることかと思われます。
※日本語の解釈の仕方は難しいですね。
- nnZ
- 2007/05/28 09:06 PM
- hiroさんの指摘にほぼ同意します。
そもそも見張りが少年兵の時だからこそ突入したという意見が当時からありました。
「なにも今更」な内容ばかりです。
逆に
>当時、日本大使館の1等書記官で人質だった小倉英敬氏
のうさんくささが浮き彫りになってますね。
この逸話をわざわざTVで取り上げるとは、カウンタープロパガンダですな。
- id
- 2007/06/02 11:32 PM
- hiroさんのコメントまでたどり着いてほっとしました。
海亀日記 宮内勝典さんから全文引用 長文注意
http://pws.prserv.net/umigame/diary12.htm
途中で切れると思いますので、February20,2003 February22,2003 をご覧ください。
February 20,2003
イラク戦争や、北朝鮮のことなどが切迫しているとき、遠いペルーの出来事について、長々と記さなければならない。これは果たさねばならない、ぼくの義務だから、どうか勘弁してください。
2000年11月17日の「海亀日記」で、ペルーの日本大使公邸占領事件とフジモリ元大統領について、ぼくは次のように書いた。
「テレビを見て気づいた人もいると思うが、政府側はフジモリ大統領以外、スペイン系の白人だらけだった。政府軍の下っ端の兵士たちは、メソティーソ(混血者)が多かった。人種や、混血のグラデーションが、そのまま階級になっていた。悲しいけれど、それが現実なのだ。
(中略)
どうか、思いだしてほしい。ペルーの特殊部隊が日本大使館に突入して、ゲリラを殲滅(せんめつ)したとき、ゲリラ兵士たちはそうしようと思えばできたはずなのに、人質を一人も殺さなかった。最後の混乱のさなかに、女性のゲリラ兵士が銃を突きつけてきたけれど、彼女は撃たなかった、と人質たちも証言している。
ゲリラ兵士たちが人質を殺そうとせずに死んでいったことに、ぼくは救いを感じていた。そのことの深さにくらべて、得意満面で勝ち誇るフジモリ大統領の浅薄さに失望した。施政者として当然の選択であろうが、その結果に、もう少し深いニュアンスが欲しかった」
(『裸の王様、アメリカ』に収録。64頁)
テレビに釘付けになって事件の推移を見守り、ついに決着がついたとき、フジモリ大統領の勝利宣言を聞きながら、そのように感じたのだ。せめて殺されていったゲリラたちに対して、かれらもまた犠牲者なのだという一言ぐらいほしかった。そして、2000年11月25日の「海亀日記」に、つづけてこのように書いた。
「つい七日前に、フジモリ大統領について記したばかりだが、罷免されて、いま東京にいるそうだ。日本に亡命するらしい。ペルーと日本の二重国籍の可能性もあるという。引きぎわを誤った権力者は、みじめなものだ。
ペルーのアンデス山脈を歩いていたとき、先住民たちの貧しさに胸のつぶれそうな思いをした。一人のインディオが、四角な石にラジカセの絵を描き、SONYと書き込み、その石を持ち歩いているのを見たとき、涙が出そうになった。そんな先住民たちがフジモリ大統領にどんな夢を託していたか想像がつく。
岸田秀氏はフランスのストラスブール大学に留学しているとき、若いフジモリ氏と寮で一緒だったそうだ。フジモリ氏は、インディオたちがどれほど差別され、貧困に苦しんでいるか、いつも熱っぽく岸田さんに語りつづけていたという。そんなフジモリ大統領に、ぼくも期待していたのだが……。
吉田兼好は「徒然草」に、こんな意味のことを記している。
『人の志も頼むべからず。かならず変ず』」
(同書 70〜71頁)
フジモリ氏が大統領に立候補したとき、「インディオの夢」という小文を「東京タイムズ」に書いて、フジモリ氏支持を表明した。「東京タイムズ」は廃刊になってしまったが、その小文はエッセイ集『この惑星こそが楽園なのだ』(講談社 1991年)に収録されている。日本語で、日本の新聞に書いても、遠いペルーの大統領選挙には何の影響もないとわかっていながら、そうせざるを得ない気持ちだった。
人種がそのまま階級となっているペルー社会の現実を見ていたからだ。先住民のインディオたちは、差別され、目をおおわんばかりの貧困のなかにうち捨てられている。読み書きを学ぶ機会さえなく、海抜4000メートル近い高地に見捨てられているのだ。日系人のフジモリ氏なら、先住民にシンパシーを抱いて、手をさしのべてくれるのではないかという期待があったからだ。
そのような経緯があったせいか、フジモリ大統領が日本大使公邸占拠事件のとき、ゲリラたちを殲滅して、得意満面で勝ち誇る姿を見てがっかりしてしまったのだ。あのゲリラたちが先住民の血を濃くひいている人たちであることは明らかだった。さらにフジモリ氏が「公金を横領した」という理由で大統領を罷免されたとき、さらに深い失望感を抱いた。
それまで、ペルーに詳しいジャーナリストから「フジモリ大統領は独裁的ではあるけれど、クリーンだよ。クリーンな独裁者なんだ」と聞かされていた。
だから報道を鵜呑みにしていいかどうか迷いはあった。だが、もしも潔白ならば、すぐペルーへ飛んで帰って、法廷闘争をやるべきではないか。暗殺される恐れがあるだろうが、身の潔白を証すためには、リスクを冒すべきではないか。日本にとどまっているのは、やはり報道されていることが事実なのだろうと思わざるを得なかった。そうして、前述のような感想を日記に書いたのだった。
ところが単行本『裸の王様、アメリカ』に収録されているその部分について、岸田秀さんから抗議の手紙があった。新聞報道を鵜呑みにしすぎている、という厳しい叱責の手紙だった。温厚で、いつもユーモアに満ちている岸田さんが、怒っておられる。初めてのことだ。
ぼくは急いで『アルベルト・フジモリ、テロと闘う』(アルベルト・フジモリ著 岸田秀訳 中公新書ラクレ)を読み始めた。
「共産主義の思想家や地政学者は、ゲリラ戦とか、またはそれなりの民主的なやり方とかを通じて、まず最初の戦略として民主主義の土台を揺るがし、不安定にする。ラテン・アメリカにおいて、その最初の実験を行ったのはチェ・ゲバラであった。さらに、「人民戦争」は、ペルーなど多くのラテン・アメリカ諸国であらゆる社会不安の要素を素材として『燎原の火』のように広がったのであった。
テロリズムは何の下地もないところで突如発生するものではない」
(『アルベルト・フジモリ、テロと闘う』20〜21頁)
以前は、ここまで読みかけて本を閉じてしまったのだ。為政者の目には、チェ・ゲバラでさえ、ただのテロリストと見なされてしまうのかと苦い思いが湧いてきたからだった。それにぼく自身、ニカラグアのゲリラ兵士たちと、熱帯雨林の戦場で共に暮らした経験があった。あの貧困のなかで独立を求めるインディオたちの闘いさえ、為政者にはテロリズムと見なされてしまうのかと憤慨してしまったのだ。
9.11以来、権力にあらがう者たちに「テロリスト」というレッテルが貼られていく風潮を苦々しく思っていたことも一因だった。だが読みつづけていくと、南米のテロがどれほど無慈悲、残酷なものであるか、おぼろげながら実状が浮かんできた。
テロリスト・グループと目される「センデロ・ルミノソ」や、MRTAは、ぼくたちがチェ・ゲバラから連想する革命集団とは、まったく異質であるようだ。十五年間に、二万五千人の命が奪われている。その死者たちのなかには、先住民インディオも多くふくまれている。先住民の村々を支配・蹂躙していたのだ。村人たちは竹槍のようなもので自警団をつくり、政府から銃を借り受けて「テロ集団」に抵抗していたと記されている。
ニカラグアでは、ゲリラ兵士たちは密林の村々で手厚くもてなされていた。ゲリラが武装しているから嫌々従っている、とは思えなかった。先住民の意志を代表して戦っている集団だとみなされていた。掛け値なしに、そう見えた。事実、そうした村々で志願兵はいくらでもいた。だが持たせる銃がなかった。木を削っただけの、むろん弾など出やしない銃をかついで参加してくる若者さえいた。14歳の志願兵もいた。17歳の女子高生もいた。
だから、アンデスの先住民たちも「センデロ・ルミノソ」やMRTAを支持しているのではないかと思っていたが、それはぼくの思いちがいだったようだ。
「センデロ・ルミノソ」やMRTAは、弱者の側に立とうしているのではなく、麻薬(コカイン)の利権にからむ武装集団といった面が濃かったようだ。タイとビルマの国境、「黄金の三角地帯」と呼ばれるケシの一大産地を支配していた武装集団のようなものと考えるのが、実体に近いようだ。
「熱帯雨林の戦場は複雑で困難な地域である。あるところに先住民の村があって、四万人の先住民がいたが、二万人に減ってしまった。センデロ・ルミノソが支配し、住民を搾取し、奴隷のように扱っていた。(中略)テロリストは先住民社会に食糧と女の調達を強要していた」
(前掲書 155頁 )
ケチュア語を母語とするアンデスの先住民たちが、フジモリ氏に語ったことも記されている。「センデロ・ルミノソ」の一隊は何人かの農民たちを殺害し、斬り落とした生首をボールにして、村の広場でサッカーをして遊んだというのだ。かれらはマオイスト(毛沢東主義者)のグループであるが、チェ・ゲバラのような高潔さも、虐げられた民への共感も乏しかったように思われる。コカインという莫大な利権がからんでいたせいだろうか。
ペルーでは学生たちまで武装して、自動小銃を携え、大学の構内を闊歩していたそうだ。80年代の末期には、ほとんどの国立大学がテロリストたちの塹壕のようになっていたと記されている。
そのような危険な状況で、テロ撲滅を掲げて立候補したフジモリ氏にとっては、「センデロ・ルミノソ」MRTAと闘うことこそが、使命だったのだろう。日本大使公邸を占拠したMRTAを殲滅したあと、フジモリ氏があれほど勝ち誇っていたのは理由があったのだ。
為政者としてのフジモリ氏に、ぼくはいくつか違和感を抱いていた。政治手法が独裁的であったこと、憲法を改正してまで大統領の三選を行ったことなど、共感することができなかった。
だが日本大使公邸を占拠したMRTA党員13人を殲滅して、高らかに勝ち誇るフジモリ氏を「浅薄」だと決めつけたことは、ぼくの誤りであった。ペルーの実情をよく認識しないまま、感情的な言葉を記したぼくこそ浅薄であった。フジモリ氏の名誉のために、そのことを明記しておく義務があると思う。
先日、岸田秀さんの家に招かれて、手作りのペルー料理をご馳走になりながら、フジモリ氏についていろいろ話を伺った。ぼくが知りたかったことは、フジモリ氏が本当に公金を横領したかどうかという一点だった。もしも潔白ならば、日本に留まらず、ペルーに帰って法廷闘争などで濡れ衣を晴らせばいいではないか。それをしようとしないのは、やはり、疚(やま)しいことがあると考えざるを得ないではないか。十年も権力の座にいると、やはり腐敗するのか?
もし自分の判断が誤っていたら、訂正し、きちんと詫びる義務がある。作家は、自分の吐いた言葉、書いた言葉に、責任を負わなければならない。言い放しでいることは許されない。
「フジモリ氏は、いまどうやって生活しているのですか?」
と、ぼくは露骨な質問した。スイス銀行に蓄えた金で優雅に暮らしているのかもしれないと思っていたからだ。岸田さんは、
「フジモリ氏はいまお金に困っていて、支援者たちから援助を受けて暮らしているようです」
と答えられた。フジモリ氏は、部下に権限をゆだね、その部下が公金を横領したことについては、不明を恥じているという。ペルーに帰らないのは、やはり暗殺される恐れがあるからだそうだ。
岸田夫人は、何度もペルーを訪ね、アンデスの村々に学校を建てるボランティアをつづけてこられた方だ。すでに十を越える学校が建設されている。フジモリ氏が先住民に手をさしのべてきたのは、まぎれもない事実だという。いまでもインディオのことを話すとき、フジモリ氏は目にうっすらと涙を浮かべるそうだ。
歴代のペルー大統領も、カソリック教会も、アンデスの先住民たちを本気で救おうとしたことはなかったという。それは、ぼくも自分の目で確かめている。フジモリ氏がインディオために尽力してきたのは、まぎれもない事実であると思われる。
フジモリ氏が公金を横領したかどうか、そのことは、ぼくにはまったく判断がつかない。ただフジモリ氏の失脚には、アメリカの意向が絡んでいるらしい。岸田さんは『アルベルト・フジモリ、テロと闘う』のあとがきに、こう記しておられる。かなり長い引用になるけれど、重要なところだから、どうか読んでいただきたい。
「フジモリ氏はその政治活動によってアメリカに不安を抱かせ、アメリカの機嫌を損じたため、ペルーの大統領の地位を追われたと、わたしは考えている。
(中略)
アメリカ(そしてペルーの新政権)は、彼の辞任にアメリカ(そして、アメリカに協力するペルーのある階層)が一枚噛んでいることを隠蔽するためにいろいろな間違った情報、根も葉もない情報、本当のことの間に嘘を混ぜた情報を流している。彼のやり方があまりにも独裁的だったので、民衆の反発を買って追放されたのだとか、どこかの銀行に大金を預けているとか、人権侵害や虐殺の事件を起こして隠しているとか、など。アメリカなどに駐在している日本の新聞記者の特派員は、外国の新聞に報道されているその種の情報を読んで、その信憑性を自分で確かめもせず、誰かが何らかの意図で流した情報ではないかと疑いもせず、そのまま日本に送り、それが日本の新聞記事になり、これまたあまり疑うということをしない日本の読者に受け入れられるということになって、いつの間にか、一部の日本人が、あれほど言われるのだから、やはりフジモリはいくらかは不正の金を持ち出したのだろうと信じていたり、やはり独裁者というものは民衆に追放される運命にあることを示す典型的な例としてフジモリを挙げたり、ペルー国民が求めているのだから、逃げ隠れしないで祖国に帰り、裁判を受けて男らしく堂々と自分の立場を主張すればいいのに……とフジモリを批判するようになっている」
ここに書かれている「一部の日本人」と同じように、ぼくも考えていたのだった。フジモリ氏を「浅薄」であると決めつけたことは、明らかにぼくの判断ミスであった。
フジモリ氏が公金を持ち出していないことを、ぼくは願う。だが自分の目で確かめることはできない。ただ、岸田さんが述べておられることは、しかと心に刻まなければならないと思っている。メディアの情報に関しては、ぼくにも苦い経験がある。
いま初めて明かすことであるが、ニカラグアへ密航を試みたとき、ぼくはアメリカ・インディアンの指導者たちと行動を共にしていた。資金もかなりぼくが出した。そして冬のカリブ海を、手造りの大型カヌーで密航したのだが、エンジン・トラブルや、ハリケーンにぶつかったりして、二回、密航に失敗してコスタリカに引き返さなねばならなかった。
ところが、インディアンの指導者たちは、コスタリカで記者会見を開いた。当時、世界の注目を集めていたニカラグアに潜入したという内容だった。まだニカラグアの地を踏んでもいなかったのに。ぼくはその記者会見の片隅に立っていた。「嘘だ!」と叫びたい気持ちを必死にこらえながら。
その後、ぼくは三度目の密航で、ようやくニカラグアに潜入することができた。ニカラグア亡命者たちの組織のリーダーが、お前だけは送り込んでやる、と主張してくれたからだ。雨の降りしきりる密林の戦場をさまよい、ふたたび夜の海を渡り、どうにか無事にコスタリカに帰ってきた。
それからNYに戻ったとき「ニューヨーク・タイムズ」の切り抜きを見せられた。アメリカ・インディアンの指導者がニカラグアに潜入したという大きな記事であった。むろん、誤報である。
「ニューヨーク・タイムズ」でさえ、偽りの記者会見を鵜呑みにして、誤報を出したのだ。これまで、そのことについて書いたことは一度もない。弱者の立場であるインディアンを貶(おとし)めるようなことはしたくなかったからだ。むろん、すべてのインディアンがそうだというのではない。一部の指導者たちが、自分たちの存在をアピールしようとして、メディアを利用したのだった。活動資金を集めるために。
いま、ここで初めて明かすのは「ニューヨーク・タイムズ」でさえ誤報を出したということ、その偽りの記者会見の場に、ぼく自身が居合わせたという苦い一例を示すためだ。
フジモリ氏がなぜアメリカの機嫌を損じたのか訊ねると、ペルーにアメリカ軍の基地をつくる計画があったのだが、フジモリ氏がそれを拒否したために、アメリカと、アメリカに協力する階層の逆鱗に触れたのではないかという。
陰謀論のようであるが、決してあり得ないことではない。アフガニスタンを例にすれば、すぐにわかる。9.11につづいて、アフガン空爆が始まり、タリバンが倒れたあと政権についたのは、カルザイ氏であった。かれは、アメリカの石油会社の顧問をしていた人物である。そのような例は枚挙にいとまがない。そしてフジモリ氏が失脚して、政権が変わると、ペルーにアメリカ軍の基地ができたそうだ。
フジモリ氏の失脚には、なにか裏があるのかもしれない。フジモリ氏の部下が公金を横領したのはほぼ事実であり、その人物にはCIAの息がかかっていたと言われている。ぼくなどには窺い知れぬ、複雑な背景や、政治力学が絡んでいるのかもしれない。
フジモリ氏は「南アメリカ連邦」のようなものを構想していたそうだ。それが最終的な夢であったのだろう。
「引きぎわを誤った権力者は、みじめなものだ」「人の志も頼むべからず。かならず変ず」と書いたけれど、フジモリ氏の身の潔白が証明されたならば、ぼくはきちんと謝罪しなければならないと考えている。そうであって欲しい。潔白であって欲しい。
日本大使公邸の事件に関して、フジモリ氏のことを「浅薄」だと決めつけたことは、ここで訂正し、謝罪しなければならない。ペルーの実情をよく知らないまま、ぼくはあまりにも一面的であった。
February 22,2003
小説家は、つねに批評にさらされる。きちんとした作品評ではなく、「ためにする」悪意に満ちた言葉を浴びせられることもたびたびある。そのような醜い(卑しい)言葉を投げつける者は、言い放しで、決して謝罪などしない。
なによりも耐えがたいのは、たとえば「浅薄である」といったふうに人間性そのものを揶揄(やゆ)するような言葉だ。それは毒を塗った棘のように突き刺さり、深みで、化膿する。
そうした痛みは、安易に批判する者には、決してわからないだろう。ところがフジモリ氏が罷免されたとき、ぼくはペルーの現実をよく知らないまま、同じような言葉を吐いてしまった。だから、きちんと詫びる義務があった。その2月20日の「海亀日記」に対して、次のような投稿があった。
「疑り深い私の感想は、宮内さんは人が良すぎるんじゃないかという事なのです。私はやはり、暗殺の恐れがあるからといっても納得できないです。失礼を承知で言えば、逆に岸田さんの話の鵜呑みじゃないのと思ってしまいました。日本大使館の事件を含めて、フジモリ氏の功罪はいまだに明確にはなっていないと思います。現在の時点で宮内さんが謝罪される事で、その謝罪が、単に謝罪としてではなく、ある特別のメッセージを持ってひとり歩きをしてしまうのではないかと、危惧しています」
この投稿者の気持ちは、よく理解できる。「暗殺される恐れがあるから」という理由だけで日本に留まっているのは、やはり釈然としない。それは、ぼくも同じだ。これまでのフジモリ氏の姿勢からして、もしも潔白ならば、リスクを冒してでも法廷闘争を始めるべきではないかという思いは、どうしても拭いきれない。
ぼくが謝罪しているのは、日本大使公邸の占拠事件に関して、フジモリ氏を「浅薄」であると決めつけたことだけだ。公金を横領したかどうか、それはわからない。判断のしようがないというのが実情だ。投稿にもあるように、フジモリ氏の功罪はまだ明確になっていない。
凄まじい貧困のなかにうち捨てられている先住民インディオたちに、救いの手をさしのべようとしたことには、共感する。それは歴代ペルー大統領のだれ一人やろうとしなかったことだから。だが独裁的であったこと、憲法を改正してまで三選を果たしたことなどは、やはり共感できない。
ただフジモリ氏が失脚した背景は複雑で、公金を横領したという弾劾が冤罪である可能性も、決して否定はできない、ということだけは留意しておくべきだと思っている。ぼくは「黒」だろうと決めつけていたのだから。フジモリ氏が潔白であるかどうか、それはまだ判断
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