[2] 安倍憎し、だけど朝日も生みの親

Comments


偏向プリズム
2006/09/25 10:16 AM
ホッブス引用してる人、レベル低すぎ。ちゃんと読んだことないでしょ。
ホッブスは、国家と個人の最低限度の権利と衝突したら、個人は逃げていいって書いてるんだよ(抵抗していいとまではいかない)。
社会契約論を引用すると、結局、赤い結論に近づくから(笑)、薮蛇。
カイジ
2006/09/25 12:31 PM
ええとですね、率直に言わせてもらえば、両者とも話が広がりすぎなんじゃないか、と。
思想対決の様相を呈してますが、右も左も関係なく、基本軸はそれでいいとしても、裁判上の論点に絞って論を争わせた方が生産的ですよ。
カイジ
2006/09/25 12:34 PM
"右も左も関係なく"ですが編集間違いで関係ない文章に入れ込んでしまいました。

"右も左も関係なく、両者とも話が広がりすぎなんじゃないか、と。"
として読んでください。
Tdd
2006/09/26 03:09 PM
>shotaさん

お返事遅くなりました。

これまでの議論から、憲法は「国民が制定する」ものだという点に関しては受け入れてもよいと思っています。ですがやはりあなたの「憲法は国民が制定し『国家に守らせる』ものだ」という憲法の性格に関するお考えには違和感を覚えざるを得ません。国家と国民を階級的に区別した上で、国家を「抑制さるべき存在」、国民を「保護されるべき存在」としてのみ規定することは、はたして妥当なことなのか、その点に疑問があるからです。

理由はいくつかあります。まず第一に、わが国にあっては国家権力を行使する側も国民自身が選んだ国民の代表であるということ。
第二に、憲法は国民の名において制定され改正されなければならないとしても、国会という国権の最高機関が採決または発議という形で「関与」しなければ制定や改正の手続きが進められないこと。
第三に、われわれは実際には憲法によって国家権力の専横から国民の権利を擁護することのみを考えているわけではないこと。つまりわれわれは憲法にそのような役割を期待する一方で、国家の政策立案能力および実行能力によって、憲法の条文の空文化が防がれ、また憲法に規定されている国民の権利がより十全に確保されることを「期待している」こと。もし国家にはそのような意思も能力もなく、単にわれわれの権利をおびやかすだけの存在にしか過ぎないとすれば、われわれはいかなる理由をもって国家に憲法の遵守を求めるのでしょうか。
第四に、上述のような「国家」と「国民」の区別を前提として、「国家には憲法を制定する能力も権限もない」とするならば、「国民」が単独で法的拘束力のある憲法を制定することが可能であると証明しなければならないが、それはほとんど不可能ではないかと思われること。あなたが以前言及された「自然法」の概念は、「国民」がそのような概念に基づく権利を憲法に盛り込みたいと考える「動機」の説明にはなり得ても、「国民」がそれ自体で国家権力といささかのかかわりもなく憲法を制定することができる「能力」を持つということを証明することはできないと思われます。

また傍証として日本国憲法の前文からの引用を二つ挙げます。まずその冒頭には、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、・・・」とあり、末尾には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、・・・することを誓ふ。」とあります。このふたつの引用だけから推しても、国家と国民をshotaさんのように区別してしまうことは必ずしも適切でないと言えると思いますが、いかがでしょうか。あなたは「憲法を考えるにあたって国家と国民を区別することは基本です」と述べられましたが、その区別を前提とした上で「憲法は国民が制定し『国家に守らせる』ものだ」とするあなたの憲法観は、少なくともぼくには、国民の「権利を行使し利益を享受する主体」としての側面を、そしてほぼそれ「のみ」を強調せんがために設けられた一種の「便法」もしくは「仮定」、もっと直接的な言い方をすれば「神話」でしかないようにぼくには思われます。

憲法に定められた「国民の義務」に関するあなたの解説を読む限り、あなたは憲法上の「義務」を、「権利をより十全に確保し享受するために承認するコスト」のように考えておられるようにぼくは思料します。それはそれでもよいのですが、では逆に憲法に記されている国民の権利は「義務をより効果的に遂行するための権利である」と考えることはできないでしょうか。

たとえばあるプロスポーツの選手が自身の体調管理やトレーニング方法を自身の自由な裁量によって行う権利を与えられたとします。この場合その権利は単に「自由にやっていいよ」ということのみを意味するものではありません。そのような権利を与えることによってこの選手には例えば「チームの勝利に貢献する」等の義務をより効果的に遂行することが期待されています。またそのような権利は、その選手が「自由を与えても決して怠惰に陥らない自己管理能力」を有しているからと認められるからこそ付与され得るものです。憲法第12条後半の「国民は、これ(この憲法が国民に保障する自由及び権利)を濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」という規定を見れば、「義務のための権利」という考え方もあながち的外れなものではないように思われますが、いかがでしょうか。

・・・さて、これでぼくの書きたいことはほぼすべて書いてしまいました。憲法観に関しての歩み寄りはなかなか難しいでしょうし、他人様のブログのコメント欄をこれ以上お借りするのも気が引けますので、この問題に関するぼくのコメントはこれで最後にさせていただきたく思います。憲法の条文等に関する解説はとても参考になりました。その点に関してはshotaさんに純粋に感謝しております。ありがとうございました。そして最後にくっくり様、長々とコメント欄をお借りして申しわけありませんでした。

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