[2] 世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より

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ミルル
2010/06/26 12:15 PM
ユダヤ難民の来日に関与した外交官がもう一人います。
杉原さんのハルビン学院での同窓生であるウラジオストック総領事代理・根井三郎さんの元へも外務省から「条件不備のユダヤ難民を乗船させてはならぬ」と指示が飛びますが、根井さんは「帝国公館発給のビザが無効では、国の威信に関わるじゃないですか」と返信して外務省を言いくるめ、難民らを日本へ送り出します。

ユダヤ難民到着後には松岡外相が滞在延長の裏技を助言するなど、どうも外務省内でも、実際に難民の相手をしなければならなかった現地職員と本省では、だいぶ温度差があったようですね。

杉原さんも晩年このような事を語っています。
「あなたは私の動機を知りたいという。
それは実際に避難民と顔をつき合わせた者なら誰でもが持つ感情だと思う。
目に涙をためて懇願する彼らに、同情せずにはいられなかった。避難民には老人も女もいた。
当時日本政府は一貫性のある方針を持っていなかった、と私は感じていた。」

また手記ではこんな感じの疑問を投げかけています。
「当時ハルビンでは樋口中将が中心となって極東ユダヤ共和国作りを真剣に考えており、来日したユダヤ難民も官民あげて歓待されたというのに、外務省は軍部からも内務省からもつんぼ桟敷に置かれていたのだろうか。ビザ問題は外務省より軍部に出した方がよかったのかもしれない。」(要旨)
ミルル
2010/06/26 12:34 PM
ユダヤ人とほとんど接した事がなく、反ユダヤ感情を日本人が持っていなかった事も幸いだったのかもしれません。

ユダヤ難民来日を伝える当時の新聞記事を見ても
「ユダヤ人は金持ちというイメージだが、難民は貧しい身なりで哀れだ」
「流浪の民の前途やいかに」
という感じで、今のほうがもっと大騒ぎになるんじゃないかと思うほどです。

ユダヤ難民に冷淡だった欧米諸国
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb300.html
>米国史上、第二次世界大戦中ほど反ユダヤ感情が高まった時期はない。世論調査によれば、1938年から1945年にかけて、人口の35〜40%が、反ユダヤ的立法を支持していた。1942年の調査によれば、米国にとって、ユダヤ人は日本人とドイツ人に次ぐ大きな脅威とみなされていた。

上海と満州のユダヤ難民
〜 ユダヤ難民を保護した日本 〜
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb100.html
>日本の海外進出への努力は、常に自国と周辺の異国との直接の対比のなかで行なわれた。ユダヤ人は日本人にとって『ユダヤ人』なのではなく単に外国人なのだった。日本は自分がユダヤ人と出会うまで、この民族が世界各国にとって問題をもつ存在であることを無視していた。ドイツと同盟を結んだ後でもそれは変わらなかった。『想像上の』ユダヤ人と『現実の』ユダヤ人には決定的な相違があった。ユダヤ人は日本人でなく、西洋の異人であり、所詮外国人だったのだ。

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