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- shota
- 2006/09/25 12:14 AM
- Tddさん
遅くなってしまい申し訳ございません。
>「憲法は国民が制定し、国家に守らせるものだ」という抽象的な物言いに固執するあなたに対してぼくは、「憲法といえども国民の代表たる代議士たちが国権の最高機関たる国会で審議し可決しなければ法的拘束力はないでしょう?」と指摘しました。
これについては憲法改正を例えに考えたらわかりやすいと思います。
現在、憲法改正の議論が活発になされています。国会でも取り上げられています。
では、憲法改正する場合の憲法改正権(最終的な決定権)は、いったい誰にあるのでしょうか。国会(国家)でしょうか?国民でしょうか?その答えは憲法にあります。
96条1項には「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」と書かれています。
これを読めばわかると思いますが、国会には「発議権」しか認められていません。国会は国民に提案される憲法改正案を決定(発議)しますが、憲法改正はそれだけでは成立しません。発議の後に国民の承認が必要なのです。つまり、国会がいくら憲法改正案を発議しても国民の過半数がいやだといえば、憲法改正は絶対に成立しないのです。要するに、憲法改正案の生殺与奪権は国民が持っているのです。
つぎに、96条2項は「憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体と成すものとして、直ちにこれを公布する。」としています。
この条文の「〜の名で」というのは法律用語で、「Aの名で」という場合の法的な行為主体はAです。したがって、「国民の名で」とは法的な行為主体が国民ということです。つまり、法的には国民が憲法を改正したということです。「天皇の名で」とか「日本国の名で」とはなっていません。
このように、96条から憲法改正権は国民にあることがわかります。ではなぜ、国民が憲法改正権をもつのか。それは、憲法を制定した主体が国民だからです(国会が自ら制定した法律を改正できるのと同様に考えればよいと思います。)。ちなみに、憲法改正権のことを制度化された制憲権(憲法制定権)と呼ぶことがあります。
Tddさんが仰るように、もし憲法が国民と国家の双務的契約(双務とは互いに対価関係にある債務を負うということ)だとすれば、国民と国家は、改正権につき対等な権利を持ってなければおかしいことになります。しかしながら、96条は国家(国会)と国民の権利に明確に差を設けています(提案するだけと、決定できるとは大きな差です)。なぜ、対等な立場であるはずの国民と国に条文上このような差がみられるのでしょうか。この理由をあなたの立場からは説明が困難なのではないでしょうか。
憲法改正も憲法制定もすべての国民が膝を突き合わせて話あって決めていけばいいのでしょうが、これは現実的ではありません。1億以上の人が直接話し合うのは無理です。そこで、国民は、憲法に「国民が直接選んだ代表者に改正案を提案するところまでを任せよう」と書いたのです。ただし、代表者といえども決定権までは与えませんでした。
>国民主権とは単に国民が権利を行使し…と思います。
この部分については、「憲法をはじめとする」という部分と「そうである以上…思います」の一文を除けば、そのようにいえると考えます。結論から申し上げると、憲法と法律は同じ「法」といえますが、性質は全く異なるものです。この二つを同列に論じることは出来ません。
Tddさんの主張は法律あれば、そのとおりなんです。法律は、国民が国会を通じて制定したといえますので、「自分で制定した法律は守るべきだ」といえます。このように国民の行動は法律によって規律されることになります。
これに対して国家権力を規律するが憲法なのです。つまり憲法の名宛人は国家です。
国民が法律を守らなければならないように、国家は国民が制定した憲法を守らなければならないのです。
なぜ、国民が国家に優先するのかですが、それは、わが国の憲法がいわゆる(古典的)自由主義に基づいて定められたからです。もちろん、自由主義によるべきだ、というのはひとつの立場に過ぎませんので、これが絶対に正しいというものではありません。ただ、日本国憲法がこの考え(自由主義)を取り入れて制定されたのは事実です。
>アメリカの『サウスパーク』というアニメーションの劇場版に、にこういう台詞があるそうです。「アメリカはクソだけど、俺たちはチーム・アメリカの一員なんだ」あなたにはこの意味がお分かりでしょうか?
「アメリカは駄目な国だけど俺たちはアメリカ人なんだから、アメリカのために〜しよう」と考えました。僕も「アメリカ」を「日本」に置き換えたら同じ気持ちです。
現状の日本を批判することは、日本をよりよい国にしていくためには必要なことだと思います。これと愛国心とは矛盾しません。
ただ、思うのは、このような台詞がいえるのは憲法によって、言論の自由が保障されているからだと思います。中国で反政府の言論を大っぴらにしようものならとたんに官憲が現れるでしょうから。
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