[2] 世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より

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ミルル
2010/06/21 12:16 PM
昔、仕事で一時期杉原さんに関わった者として・・・

>杉原千畝は、形式的には外務省の本省の命令に逆らったわけでしょ。だからずっと外務省としてはあいつは悪い奴だってことになってて、ひどい扱いを受けてたんです。外国から評価されて初めて、外務大臣が謝りに行ったという

これはちょっと違うと思います。
ビザ発給後も杉原さんは処分を受ける事なく、外交官として東欧で情報収集の仕事を続け、昭和19年には勲五等瑞宝章を授章しています。
「例の件で責任を問われている」と口頭で言われ、退職したと杉原夫人は証言していますが、著書では当時3分の1もの外交官が退職を余儀なくされた大リストラが行われていた事にも触れています。

イスラエルでの評価については反町さんのドラマ放映時、2ちゃんのドラマ板でこんな指摘がありました。
ニシュリさんというユダヤ人が戦後23年も経ってから杉原さんを探し当て、翌年イスラエルから勲章を受けた事に関して

『ホロコースト産業』について
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb811.html
>フィンケルシュタインによれば、「戦後ある時期までナチ・ホロコーストは注意を払われなかった。第二次世界大戦の終結から1960年代の終わりまで、このテーマを取り上げた書籍や映画はほんのわずかだったし、この問題を扱う講座のある大学はアメリカの中で一つだけだった。

>フィンケルシュタインによればホロコースト産業が発生したのは1967年6月の第三次中東戦争(6日戦争)の直後だったという。

これも一つの説であり、外交官だった杉原さんの目にこの事がどう映っていたかは今は知る由もありませんが・・・とは言え、ビザの発給要件を満たさないユダヤ難民数千人に外務省の許可なくビザを発給するという決断をしたのは事実です。

杉原さん自身は晩年、手記にこう書いています。
「・・・果たして浅慮、無責任、我無者らの職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を擁するユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してもかまわないのか。    
それが果たして、国益に叶うことだというのか。
苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。
そして私は、何を恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。」

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