[2] 朝鮮総督府官吏だった野伏翔監督の父「気を遣っているのはいつも日本人の側だった」

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2017/05/02 07:30 AM
女優の小林千登勢?も朝鮮引き揚げで
道中騙す人もいたけど山越えを手伝ってくれる人もいたと書いてますね。
病気で兄弟ひとり亡くされてましたが、無事に帰国できたので書けたのかなとも思いましたが。
たなべのぬこ
2017/05/06 01:28 AM
くっくりさんこんばんは!
あいもかわらずのご無沙汰っぷりですみません。

15年前に亡くなった、私を孫の様にかわいがってくれた近所のおじいちゃんから聞かされた話です。
おじいちゃんは大陸の最前線で戦っていたそうで、戦闘と行軍の毎日だったそうです。
ある晩、村が有るはずの場所にたどり着き、川もあったので皆「川やー!水やー!」と狂った様に水を飲み、「この辺りは村があるから食料をわけて貰おう」と思っていたそうです。
そして、段々空が白んできておじいちゃん達が見たものは…川に浮かぶ無数の中国人のご遺体、略奪され虐殺された村人達。余りの惨さに絶句したそうです。
そして、最初に慰安婦問題が報道された時、おじいちゃん達は怒り狂っていたのを覚えてます。彼らは女性達にきちんとお金を払っていたし、「貧しくて売られてきた子」と皆思っていたのでコッソリお小遣いをあげたりプレゼントをしたりで女性達にとても気を遣っていたそうです。
おじいちゃん曰く「敵より上官の方が正直怖かったわ…」だそうです。
たなべのぬこ
2017/05/06 05:38 AM
上記の投稿に補足しておきますね。

おじいちゃん達が怒り心頭だったのは、もし自分達の快楽の為に女性をさらって来ようものなら、問答無用で銃殺刑だったという事です。それから、いくら兵站が伸び切って苦しくとも、村を襲って民を虐殺し食料を奪うなんて論外だったという事です。自国軍の虐殺から免れていた村人達は(便衣兵は除く)日本軍が来ると殺されないと喜び、貧しい中でも食料を分けてくれたりしていたそうです。
ただ、水は井戸があっても毒が入れられていて犠牲者も出ていたそうで、村人が普通に飲んでいない限り決して飲めなかったそうです。
でも、現地の人は大丈夫でも日本人は水が原因で病気になった人はたくさんいたそうですよ。
私の父方の祖父は最初朝鮮に憲兵として出征したのですが、小さなトラブルが元で(理由を聞いたのですが、ほんっとにしょーもない理由です)一人で居るところを朝鮮人の集団に襲われ、大怪我を負い帰国。その後台湾にまた憲兵として出征しました。
台湾時代の話をする祖父は本当に楽しそうでした。(流石に犯罪者の処刑は嫌でしょうがなかったらしいのですが)
終戦を台湾で迎えた祖父は、日本が負けた事が当時なかなか理解できなかったと言ってましたね。日本に引き揚げの際も、交流があったたくさんの台湾の人々と泣きながら別れたと話してくれました。

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