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- のーすふぇいす
- 2016/10/09 11:18 AM
- くっくりさん
こんにちは。
私は、西洋のキリスト教社会では、人間は神(創造主)によって創られたもの。したがって、人間が人間を殺す死刑制度は、神に対する冒涜と考えて死刑を廃止していると、考えております。
日本と宗教観が全く違います。日本はあらゆるものに神が宿り、感謝を捧げて、神ともに生きる国。
西洋人が、初めて黒人をみたときに、これは自分たちと肌の色が違うので、人間の出来損ないと考え、存在自体が神に対する冒涜と思い、奴隷とした。
西洋人は本当に勝手です。
瀬戸内寂聴という方も、勝手と思います。まあ、過ちが多いほど、神に対する讒言ができますので、仏教の出家者となっておりますが、極めてキリスト教的なヒトと考えております。
因果応報という仏教用語を知らないようですから。
Ψ(`∀´#)
雑文、失礼しました。
- 2016/10/09 11:29 AM
- 死刑停止するんなら、炭鉱で採掘の無期重懲役刑な。
働けなくなったら、死刑ということで。
冤罪があってもやり直せる機会あるし、一応、
刑務所の費用の足しになるかも知れん。
- YAMA
- 2016/10/09 12:01 PM
- 世界が死刑を廃止に向かってるのは、凶悪犯を逮捕せずに射殺しまっくているからできるのではないでしょうか(笑)
人が人を殺す制度である「死刑」が悪ならば、同じ人が人を殺す「射殺」も法律で禁止にしないとダメだと思うのですが、そんな国ありませんよね。
また、冤罪による「死刑」で人が死ぬのは許されないって理論も理解できません。なぜって、冤罪で刑務所にぶち込むのはまるで問題がないかの言いようだからです。
- 村田れんほう
- 2016/10/09 02:04 PM
- 堀江モンの獄中記、読めば矯正が困難を通り越して不可能かと思わされます。
やること無いから犯罪、生きづらいから犯罪。
くっくりサンの仰るとおり、そうした連中を野放しにしておけば、弁護士の仕事も増えますものね。
無期懲役なら、重箱の隅つつきで冤罪を訴えてみれば、とりあえず弁護士の食い扶持となりますね。釈放されようが、されまいが。
結局は誰の人権でもなく、弁護士の聖域願望です。被害者も加害者も永遠の食い扶持となるだけの…。
それにしても、またTBS!
- MI=KA
- 2016/10/09 05:07 PM
- 個人的に不思議だと思うのは、
死刑=抑止力、だと思うのですが…対案なしに廃止を論じる感情論優先の考え方。
ちょっと違いますが、教師の体罰が近年問題になって久しいです。
体罰の定義があいまいで、私の世代では廊下に立たせる・教室から追い出すことすらも体罰扱いでした。
そうすることで、教師の発言権の低下=抑止力の低下につながり、教師は事なかれ主義、生徒はお客様扱いで、教師の発言権が低下して管理できないので学力低下。
抑止力がないので、いじめを防ぐ手段もありません。
抑止力を取り上げておいて、いじめなどを問題視するのは可笑しいです。
いじめが増えるのもあたりまえだと思います。
死刑問題も一緒だと思います。
死刑廃止をしたとして、
終身刑でも独房のみ・定期的に明滅する部屋に入れる(人道的な?拷問の一種で身体には傷をつけない代りに、精神的苦痛を与える)などがありますが、こっちの反発の方がおそらく強い事。
議論すると、終身刑まではみなさn抵抗がありませんが、終身刑=死刑に変わる刑罰と思ってる人はほぼいません。
ではどうするか、死刑と同じくらいの抑止力を持つ、古式にあるような「利き手切断」「刺青」を例えば提案すると、
古式>>>>死刑くらいに拒絶反応を示す人が大半です。
非人道的・人権云々と酷い反応が返ってきます。
でもこれ、生きているので、死刑よりマシで、仮に冤罪でも人生のやり直しはききますし、分かりやすく社会復帰の手伝いもできますが、死刑以上の反発がかえってきます。
肉体を欠損するような古式が駄目なのかと、人道的?な拷問の明滅する部屋・高音や低音の部屋などに定期的に入れる、と精神的苦痛方面にハードルを下げても、ほとんど変わりません。
僅かな緩和はあるかもしれませんが、死刑以上の反発は結局免れない。
誰も対案を議論しない、対案のない死刑廃止論でその後のことは思考停止。
実質、死刑に変わる抑止力を提案しても、死刑以上の抵抗感をもっている矛盾ってどうなのでしょうか。
こういった提案をすると、ほとんどの人が死刑のほうが人道的と答えるのに。
死刑廃止ができたとして、体罰問題のように対案なく、抑止力をとりあげて、犯罪者増加、抑止力を取り上げておいて批判する、というのを繰り返すだけだと思います。
結局は利権問題や職業的な保身問題なんですかね。
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