Comments
- kinkarasu
- 2010/03/23 05:22 AM
- 関所の話は聞いたことがありました。
この話を祖母にしたところ、地元でも似たようなことがあったことを逆に教えてもらうことになりました。(地元は江戸時代、宿場町でした)
聞いてみれば、関所の目の前まで来るとちょいと横道にそれ、関所を迂回して町の中に入ってくるのだとか。
こういう経験があるので、思いついたときに祖母から昔の話を聞くようにしてます。
- とうふ
- 2010/03/23 06:56 AM
- 私の受けた教育や、テレビをはじめ、私の触れた文化的な作品により出来た私の頭の中では、明治維新から現在まで大東亜戦争を挟んで思想的、文化的な断絶はあっても連続性を感じます。
しかし江戸時代と明治維新との境に深刻な断絶を感じるのです。
明治維新による急激な近代化で、日本文化が相当壊れてしまったのではないか。
日本はダメだ。西洋は凄いという風潮もそこらへんの時期が起源なのではないのでしょうか。
明治維新の革命によって、前体制である幕府が否定された事により、大東亜戦争の敗戦によって戦前が否定されたのと同じようなことが起こったのではないでしょうか。
西洋近代化を行っても日本文化はそのまま連続性を保ってほしかった。
坂本龍馬ブームに日本が壊れていく事を賛美するような気持ち悪さを感じ、そんな事を最近考えます。
- abusan
- 2010/03/23 07:36 AM
- 歴史には「考古学的観点」も必要だと
言う事ですな。遺跡も立派な資料ですし'`,、( ´∀`) '`,、
- abusan
- 2010/03/23 07:40 AM
- ちなみにこのエントリーを見キーワードは
義理人情
任侠心
ですなあ。何れも武士道から派生した庶民思想で有り
明治まで強い影響を残していたと。
「男はつらいよ」という映画はそれがテーマですし。
- hoary
- 2010/03/23 09:35 AM
- 今の子は銀魂みて育ってるから(笑)
- 2010/03/23 09:35 AM
- 江戸時代の日本、それなりに進んでいたんだよね。維新後、わずかな時間で欧米に追いつくことなんてできないよね。
- じいさん
- 2010/03/23 09:52 AM
- いつもありがとうございます。
興味深いお話しですね。冒頭にありましたが、数パーセントの武士の厳しい倫理観(道徳)が、農民や商人達を感化してきて、日本人の道徳観ができてきたと言うことです。新渡戸稲造も武士道で日本人の道徳教育は何によって為されているのかと外国人に問われたときに武士道という答えを見つけたのでした(本人はクリスチャンでしたが)。
サムライの生き方としての所謂武士道精神は、何か教典や記したものがあるわけではなく、元々日本にあった自然崇拝、先祖崇拝に加え、儒教、仏教、朱子学、陽明学と習合してできあがった武士の処世術的なものですが、その高い徳性が庶民にも伝播したものと考えられたのです。つまり単純に死ぬことハラキリということでなく、「ひとたび我が道と定めたなら死を賭して取り組むべし」というある種キリスト教カトリックの殉教、騎士道、紳士道に通じる部分があったからこそ欧米人にも理解され、その高い徳性が称賛をうけたのではないでしょうか。
しかし、明治の帝国植民地時代に西洋列強の前で「同じ様な振る舞い」がなければ被植民地になってしまうと言う危機感から伝統文化を深く考える暇もなく西洋化一辺倒になってしまいました(何を残して何を西洋化するか)。
そして大東亜戦争の敗戦後のGHQのWGIPにより更に自国の伝統文化、歴史を否定したわけですから、日本人は二段階に分断されたと言えると思います。一概に明治は良かったというのは誤りだと思います。我々の求めるべきは明治維新前までの日本ということでしょう。
(無論大東亜戦争時に発揮された武士道精神は江戸からの残り香としてギリギリで発揮されたと言えると思います)。
長々恐縮ですが、これは文化だけでなく、呼吸の仕方、歩き方や住まい方、食べ方まで全て西洋化以前と現代では異なります。これらの点からもう一度みんなで考えることが(短期の売国法案に対する運動に対して)長期的には一番大事なことだと思っています。
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